まあ私も色々あってやる気ない朝元気も無い朝、適当な過去のメモメモ下記鬱すか、現金現金いや元気だそう?
十方 玉城康四郎さん解説より ・・・いつたい激流の大刀にこれまでいくたび突き破られてきたことであろうか。しかしいつ
のまにか、塞がるはずの無い無欠の大穴が見えなくなってしまうのである。それだけに「十方」の巻の説述が一段とみにしみる。
・・最後の項目は光明である。十方全体は自己の光明であるという。その自己とは父母未生以前の鼻の孔である。その本当の自己
が実現すると、仏殿の扉が開いて仏にまみえる。しかしいつのまにか別人のための別のものにとりかえられてしまう。またそれを
打破して相見える。私はこの繰り返しを、なんと何十年も性懲りもなく繰り返してきたことであろうか。道元もまた同じ思いを
経験していることに、格別の親しみを覚える。道元はさらに次のような意味の一文をつづる。「本来の面目を呼び出すことはやさ
しいが、忘れ去ることは難しい。しかし呼び出されるならば、これまでの私はぐるりと回転する。回転すれば何の用も無くなる。
おやおや、まだわからぬのか三十棒を恵んでやつたではないか」この簡潔な一節のなかに私の何十年の悦楽と失望のからみあいが
凝縮されている。そしてようやくその絡み合いから開放されようとしながら、私はまた不可思議感を覚えはじめている。本来の故
郷感と無量こう来住みつづけた仮住まいへの親しさとの結び合いである。この不可思議感が私の体内でどうなつていくのか『眼蔵
』の先の巻を読み続けながら注視していきたい。
十方 玉城康四郎さん解説より ・・・いつたい激流の大刀にこれまでいくたび突き破られてきたことであろうか。しかしいつ
のまにか、塞がるはずの無い無欠の大穴が見えなくなってしまうのである。それだけに「十方」の巻の説述が一段とみにしみる。
・・最後の項目は光明である。十方全体は自己の光明であるという。その自己とは父母未生以前の鼻の孔である。その本当の自己
が実現すると、仏殿の扉が開いて仏にまみえる。しかしいつのまにか別人のための別のものにとりかえられてしまう。またそれを
打破して相見える。私はこの繰り返しを、なんと何十年も性懲りもなく繰り返してきたことであろうか。道元もまた同じ思いを
経験していることに、格別の親しみを覚える。道元はさらに次のような意味の一文をつづる。「本来の面目を呼び出すことはやさ
しいが、忘れ去ることは難しい。しかし呼び出されるならば、これまでの私はぐるりと回転する。回転すれば何の用も無くなる。
おやおや、まだわからぬのか三十棒を恵んでやつたではないか」この簡潔な一節のなかに私の何十年の悦楽と失望のからみあいが
凝縮されている。そしてようやくその絡み合いから開放されようとしながら、私はまた不可思議感を覚えはじめている。本来の故
郷感と無量こう来住みつづけた仮住まいへの親しさとの結び合いである。この不可思議感が私の体内でどうなつていくのか『眼蔵
』の先の巻を読み続けながら注視していきたい。