今朝はメモコピーで下記急ごう。目の前は急がされて用事の奴隷で出かけなければ、で
玉城さん・・能役者・能製作者として有名な世阿弥が『至花道』という書物で表していますが、その中で皮肉骨という事を申
しておる 生来の素質が芸の中ででるのが骨である、力量が熟して出てくるのが肉である さらに安定した形で美の極地に
至る姿が皮である、というこういう骨肉皮という芸の極意を言つております しかしこれだけでは十分ではないのであって、
そうしたことは皆目に見えるところである 本当のよさというものは目に見えるところを超えていて、役者と観客が全体で
共感し、共鳴しあうところの世界だと申しております そのとき役者は自分を忘れて無の境地になっており、観客はただ観
とれているという事も忘れてしまう このところのところをかれは「役者は無風意の位になり、観客が妙見に忘ずる」という
そういうふうに役者と観客が空の場に溶け合っているところまでいって、はじめて能の極意であると世阿弥は申しておる
こうした人間相互のつながりの中から自然に開けてくる世界を仏教では縁起と申ます?へえ不味いサスペンスドラマは見る人
を騙して犯人も都合よくこき使うし筋がめちゃくちゃで作者もいやいやノルマに追われて金稼ぎで作つているし視聴者は暇
を潰さないと退屈てドラマ見ているだけだし?私も何とかを書かなきゃならないノルマすぎたしさあ以後移行玉城さんゴメン
玉城さん・・能役者・能製作者として有名な世阿弥が『至花道』という書物で表していますが、その中で皮肉骨という事を申
しておる 生来の素質が芸の中ででるのが骨である、力量が熟して出てくるのが肉である さらに安定した形で美の極地に
至る姿が皮である、というこういう骨肉皮という芸の極意を言つております しかしこれだけでは十分ではないのであって、
そうしたことは皆目に見えるところである 本当のよさというものは目に見えるところを超えていて、役者と観客が全体で
共感し、共鳴しあうところの世界だと申しております そのとき役者は自分を忘れて無の境地になっており、観客はただ観
とれているという事も忘れてしまう このところのところをかれは「役者は無風意の位になり、観客が妙見に忘ずる」という
そういうふうに役者と観客が空の場に溶け合っているところまでいって、はじめて能の極意であると世阿弥は申しておる
こうした人間相互のつながりの中から自然に開けてくる世界を仏教では縁起と申ます?へえ不味いサスペンスドラマは見る人
を騙して犯人も都合よくこき使うし筋がめちゃくちゃで作者もいやいやノルマに追われて金稼ぎで作つているし視聴者は暇
を潰さないと退屈てドラマ見ているだけだし?私も何とかを書かなきゃならないノルマすぎたしさあ以後移行玉城さんゴメン