>>23 ベールに包まれていた宮本の暮らしが明らかになったのはこの後である。
権力を掴んだ宮本は共産党内で完全な独裁者となっていたが、その生活もまた
独裁者のそれであり、衣食住の全てに及んでいたことが判明した。
まずは衣であるが、これは宮本の着ているもののブランド志向である。
ネクタイはイタリア製、靴はフランス製の特定ブランドのみと定められ、
その購入のためだけに党員がヨーロッパに派遣された。
その当時、赤旗新聞は日本人の過剰なブランド志向に警鐘を鳴らす記事を
載せていたが、自分のところのトップのことは何も触れなかった。
食についても同様で、好物のウナギは常に銀座の特定の店のみ。
間違えてもサラリーマンが昼食に気軽に入れるようなものではない高級店である。
また、宮本を訪問する際に手ぶらで行くことは許されなかったが、その手みやげは
宮内庁御用達以外は門前払いされた。そして、皇室が好んで食しているとされる食事を
用意することが宮本をもてなす絶対条件となっていた。
宮本の食については他にも逸話が残っている。
共産党の党大会は伊豆で開かれることが多く、そこにある共産党の施設には
食堂も宿泊機能もついている。
そこは共産党内の身分において明白に差別化されていた。
出される食事に目を向けても、ヒラの身分で党大会に出る中央委員と比べ、
その一つ上の幹部会員となるとオカズが一品増える。その上の常任幹部会員は
さらに一品追加され、その上に立つ宮本はただ一人鯛の刺身が付いてくる。
その日の朝、熱海の魚屋に出向いて仕入れたその日いちばん大きな鯛で、
宮本が食べる前には宮本のボディーガードが毒味をしてから
宮本が箸を付けるという仕組みである。
まるで江戸時代の大名のようなことを宮本はやっていた。
宮本がそのために呼び寄せた帝国ホテルの料理人は、自分が料理人として
やってきた中で、組織の中の身分で出される料理にここまで露骨に差を設けるよう
要求されたのは、日本国内では共産党だけだったと述懐している