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キリスト教@質問箱344
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| N:YLi| Li| │::|::: / :::::| <偽預言者が来るよ
|人'' r'^ー、 ''' |::∧厶/::::|
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今日の聖句
2023年4月2日 棕梠の主日 受難週
イエスの十字架
こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。
それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た。松明や灯や武器を手にしていた。
イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「誰を捜しているのか」と言われた。
彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「私である」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。
イエスが「私である」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
そこで、イエスが「誰を捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。
イエスは言われた。「『私である』と言ったではないか。私を捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」
それは、「あなたが与えてくださった人を、私は一人も失いませんでした」とイエスが言われた言葉が実現するためであった。
シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の僕に打ちかかり、その右の耳を切り落とした。僕の名はマルコスであった。
イエスはペトロに言われた。「剣を鞘に納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」
(ヨハネによる福音書 18:1-11)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月3日 受難週
イエスの十字架
シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに付いて行った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の中庭に入ったが、
ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。
門番の女はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではないでしょうね。」ペトロは、「違う」と言った。
僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。
(ヨハネによる福音書 18:15-18)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月4日 受難週
イエスの十字架
大祭司はイエスに、弟子のことや教えについて尋ねた。
イエスはお答えになった。「私は、世に向かって公然と話してきた。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。隠れて語ったことは何もない。
なぜ、私に尋ねるのか。私が何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々が私の話したことを知っている。」
イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。
イエスはお答えになった。「何か悪いことを私が言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜ私を打つのか。」
アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。
(ヨハネによる福音書 18:19-24)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月5日 受難週
イエスの十字架
人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。
そこで、ピラトは彼らのところに出て来て、「この男に対してどんな訴えを起こすのか」と言った。
彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。
ピラトが、「あなたがたが引き取って、自分たちの律法に従って裁くがよい」と言うと、ユダヤ人たちは、「私たちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
それは、ご自分がどのような死を遂げることになるのかを示して語られた、イエスの言葉が実現するためであった。
そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前はユダヤ人の王なのか」と言った。
イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのか。それとも、ほかの者が私について、あなたにそう言ったのか。」
ピラトは答えた。「私はユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前を私に引き渡したのだ。一体、何をしたのか。」
イエスはお答えになった。「私の国は、この世のものではない。もし、この世のものであれば、私をユダヤ人に引き渡さないように、部下が戦ったことだろう。しかし実際、私の国はこの世のものではない。」
ピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「私が王だとは、あなたが言っていることだ。私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理から出た者は皆、私の声を聞く。」
ピラトは言った。「真理とは何か。」
ピラトはこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て来て言った。「私はあの男に何の罪も見いだせない。
(ヨハネによる福音書 18:28-38)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
今日の聖句
2023年4月6日 洗足木曜日 受難週
イエスの十字架
そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。
兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の衣をまとわせ、
そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。
ピラトはまた出て来て、言った。「聞くがよい。私はあの男をあなたがたのところに引き出そう。そうすれば、私が彼に何の罪も見いだせない訳が分かるだろう。」
イエスは茨の冠をかぶり、紫の衣を着て、出て来られた。ピラトは、「見よ、この人だ」と言った。
祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたがたが引き取って、十字架につけるがよい。私はこの男に罪を見いだせない。」
ユダヤ人たちは答えた。「私たちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、
再び官邸に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。
そこで、ピラトは言った。「私に答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、この私にあることを知らないのか。」
イエスはお答えになった。「神から与えられているのでなければ、私に対して何の権限もないはずだ。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
それで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」
ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに、「見よ、あなたがたの王だ」と言うと、
彼らは叫んだ。「連れて行け。連れて行け。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたがたの王を私が十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「私たちには、皇帝のほかに王はありません」と言った。
そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを人々に引き渡した。
(ヨハネによる福音書 19:1-16a)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
不本意ではあったが、ユダヤ人たちの勢いに押されて、イエス・キリストを処刑した
「イエス・キリストを処刑した人」として、歴史に名を残した
二千年たった今も、世界に知れ渡っている
まさか、信者が20億人もいる世界宗教になるとは思わなかったのだろう
おはよ〜
う〜ん
イロイロ流れができて
来週、教会に礼拝いくかも〜
ホーリネス運動の時期のグループだな〜
😫
ラピチュの味方をするつもりはないが
一スレだけは、
ラピチュを?
しばらく、支援しようか?、と
😫
聖霊派の流れ
メソジスト → ホーリネス → ペンテコステ
ラピススレは全部あぼーんしてるから、
どれなのか分からない
>>23 レオパルド2を
ラピチュに提供してやる〜
😫
軍需産業の趣味は悪いね〜〜
😫
遂に自分が精神病であったと切実に語る鹿野園氏、今日も一日中引きこもって5ちゃんねる】
シカシカが
目覚めるとともに〜
シカシカコールを入れるだけ〜
😫
シカシカに、ラピチュ襲撃の怨念度合いを
高めるために、
あのラピチュスレは残す協力をしよう〜
悪いNATO〜
😫
シカーチーンの戦闘意欲を
高めていただきたい〜
ラピチュ・ランリツスキーと
ファイトして
ほしい〜
😫
今日の聖句
2023年4月7日 受苦日 受難週
イエスの十字架
十字架につけられる
こうして、人々はイエスを引き取った。
イエスは自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人を、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
ユダヤ人の祭司長たちはピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。
ピラトは、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
兵士たちはイエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。
そこで、「これは裂かないで、誰のものになるか、くじを引こう」と話し合った。それは、
「彼らは私の服を分け合い
衣をめぐってくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「女よ、見なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」その時から、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
そこには、酢を満たした器が置いてあった。人々は、この酢をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口元に差し出した。
イエスは、この酢を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
(ヨハネによる福音書 19:16b-30)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
今週、キリスト教の暦では「受難週」という一週間を過ごしています。
「受難週」(「聖週間」とも呼ばれる)は、イエス・キリストが人々から見捨てられ、苦しみを受け、十字架につけられて殺され、墓に葬られる出来事に思いを向ける期間として過ごされます。
カトリック教会など、聖書日課(日毎に読むべき聖書の箇所が選ばれているもの)を用いる教派・教会では、今週は曜日ごとに受難に関する聖書の箇所が読まれます。イエスがどのような最期を遂げたのか、学んでみてください。
受難週(じゅなんしゅう:プロテスタント)、聖週間(せいしゅうかん:カトリック)、聖週(せいしゅう:聖公会)、受難週間(じゅなんしゅうかん:正教会)、(英: Passion Week, Holy Week, 西: Semana Santa)とは、棕櫚の主日(=枝の主日、聖枝祭)から、復活祭(=復活大祭)の前日までの一週間を指す。イエス・キリストがエルサレムで受けた苦難を記憶する事から「受難週」等の名がある。
この週の木曜日は「聖木曜日」(「洗足木曜日」、「聖大木曜日」)、金曜日は「聖金曜日」(「受難日」、「受苦日」、「聖大金曜日」とも)、土曜日は「聖土曜日」と呼ばれる。
キリストの受難については、使徒言行録で「神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました」(3:18)と明言されている。よって、受難は使徒の教えの中心をなしていたといえよう。だが、弟子たちは苦難の意味を復活までは、本当の意味では理解してはいなかった(マタイ16:21‐28など多数)。従って、イエスのエルサレム入城を始点としたこの1週間も、さほど重要視していなかったであろう。
受難週の各曜日における出来事を福音書の記述に従って行う伝統は、エルサレム教会で2-3世紀頃から行われていたようである。今日でも正教会、カトリック教会、聖公会では各曜日に様々な行事が行われている。ただ、プロテスタントでは教派や国によって採用する行事にばらつきがある。
今日の聖句
2023年4月8日 受難週
イエスの十字架
その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。
そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。
イエスのところに来てみると、すでに死んでおられたので、その足は折らなかった。
しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。
それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。
これらのことが起こったのは、「その骨は砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。
また、聖書の別の箇所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。
その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行ってイエスの遺体を取り降ろした。
前に、夜イエスのもとに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、誰もまだ葬られたことのない新しい墓があった。
その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
(ヨハネによる福音書 19:31-42)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
キリスト教会は信者も驚くほどいるわけに見えないんですがどうやって教会が成り立ってるんでしょうか。ボランティアをしたら企業から献金があると聞きましたが、無かったら普通の信者だけで成り立つんでしょうか
>>68 正教会とカトリックは独立採算ではありません。教区ごとに集計して分配します。
正教会は信者の献金で成り立ちますが、カトリックの場合は病院・学校・福祉施設等を運営しており、
そこからの収益もあります(たとえば上智大学)。
プロテスタントの場合は伝統宗教系の中にはカトリックと同じで教区ごとに集計し、信者の献金以外でも
学校・病院・福祉施設の運営をしているところもあります(たとえば聖路加病院)。
伝統宗教系の教会で独立採算のところもありますが、そういった教会でもほとんどがやはり何らかの収益事業
をやっており、完全に信者の献金のみに頼る教会は少ないです。
新興宗教系の教会はすべて独立採算です。信者の献金のみに頼る教会が多いですが、中には保育所や幼稚園を
やって、多少の収益を得る教会もあります。
完全に信者の献金だけでやってくのは、そりゃ難しいですな
上智大学も聖路加病院も、ものすごくイメージが良いねえ
聖路加病院は、日本一の高級病院
ここに入院するのは最高のステイタス
お金については
「教会 助成」で調べると
色々書いてありますね
キリストとブッダに共通項がたくさんあると思っていますが、正式なクリスチャンでは
ない信者が日本には意外と多いのでしょうか。
今日は、
あの世へ行かれたクリスチャンの友人がらみで
礼拝に出る予定だ〜
山伏と念仏リアル研究は
停止と思いきや、
それなりにひらめいては
来ている〜
😇
行くであろう、
その教団の聖霊のレッドカラーが
教会に行ってないのに、濃度が高まってきた〜
😇
>>76 > キリストとブッダに共通項がたくさんある
共通項がたくさん?
たとえばどんな?
>>71 ありがとうございました。よくわかりました。そういえば近くにも保育所がありました。
今日の聖句
2023年4月9日 イースター
復活
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って、彼らに告げた。「誰かが主を墓から取り去りました。どこに置いたのか、分かりません。」
そこで、ペトロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子のほうが、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあるのを見たが、中には入らなかった。
続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も中に入って来て、見て、信じた。
イエスが死者の中から必ず復活されることを記した聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
それから、この弟子たちは家に帰って行った。
(ヨハネによる福音書 20:1-10)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
ふっかつさい
【復活祭】
キリストの復活を記念する祭典。祭日は、春分後最初の満月のあとの日曜日。イースター。
磔刑にされて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教においては最も重要とされる祭。
キリスト教を信仰する人々にとっては、イエス・キリストが生誕した日を祝うクリスマスよりも重要な意味を持つイベントになっています。
イースターには何をするお祭りなの?
キリスト教徒が多い欧米の国では、「イースター休暇」として、イースターの当日を挟んで連休とするところが多くあります。
イースター前の金曜日を「グッドフライデー」、翌日の月曜日を「イースターマンデー」と呼び、学校や仕事もお休みに。
イースターが近づいてくると、街は卵やうさぎをモチーフとした飾り付けで彩られ、明るい雰囲気が漂います。
当日は教会のミサに参加したり、家族や友人と食事を楽しんだりして過ごすのが一般的です。
宗派や地域によっては、イースター当日までの一定期間に肉や卵、乳製品などを食べることが禁じられます。
当日はそれらが解禁となるため、肉や卵、乳製品などを用いた豪華な食事をするのが定番です。
また、卵にカラフルなペイントをほどこした「イースターエッグ」を使った遊びも行われます。
イースターエッグを家や庭に隠して探す「エッグハント」や、イースターエッグをスプーンに載せて落とさないように運ぶ「エッグレース」などは、子どもたちに人気です。
このように、イースターには様々な楽しみ方があります。
今日の復活祭は
イースターっていうんだったな
プログラムなんかに
オマケ要素として仕込まれることもあるとかで
イースターエッグと言われる
復活祭では
たまごに何かを書いたりして
お祝いするならわしでもある
>>80 あまり記憶がないけれど
一神教的で「信ずるは正しい」的な感じだった気がします
勉強中ですし、宗教についてはあまり厳しく言わないでほしいと思います
あ、読み間違えてる
すみません
共通項なんかありません
忘れて下さい
別に何を言われてもなんとも思いませんけど今さら
でも、自分自身はブッダも
キリストも素晴らしいと
多少理解をしてはいます。
>>91 > 一神教的で「信ずるは正しい」的な感じだった気がします
確かに、ブッダの初期仏教にも
そういう面はありますな
見落とされがちだけど
「ひとは信仰によって激流を渡る。」
『スッタニパータ』(『ブッダのことば』岩波文庫 44頁)
時には「荒波」にもまれ、「逆風」や「暴風」に直面することも避けられないのが人生です。そんなときには誰もが苦しみ、不安に襲われ、心細くなります。では、どうやってそれを乗り切っていったらいいのでしょうか。
上に掲げた言葉は、ブッダの言葉を伝える多くの経典の中でも最古といわれる『スッタニパータ』に出てきます。今から二千五百年ほど昔、インドで悟りを開いたブッダは、ガンジス川の中流域を旅して、人々に苦しみから解放される道を説きました。
「激流」という言葉で表されるのは、具体的には雨季に増水したガンジスの危険な流れですが、ここでは人間を溺れさせる苦しみのもとである煩悩の喩えになっています。
「激流を渡る」ということは、苦しみに飲み込まれることなく、向こう岸にたどりつくことです。
どうしたら溺れずに渡り切れるのかというと、それは「信仰による」とブッダは言います。ここで「信仰」というのは、落ち着いて真実の言葉に耳を傾け、信じることです。
「溺れる者は藁(わら)をも掴(つか)む」ということわざがありますが、ブッダの言う「信仰」は、「藁を掴む」こととはまったく違います。
荒波にもまれ溺れそうになると、人は動揺して近くにある何にでもしがみつきたくなりますが、そういうときこそ強ばった体の力を抜き、信頼できる真実の言葉に耳を澄ませて導かれ、柔軟な自然体で抜手を切っていくべきなのです。
スマナサーラは 過激派?
かもな〜
信じるよりも確かめろ派らしい
😄
寝てたのに
仕事の悪夢で目覚めた〜
しかし、夢の中で、
今年コロナで亡くなった先輩社員が、
死者として仕事をゼエゼエ言いながらやっていて、死者と解ってい話しかけて、
成仏してもらった?
みたいな夢
それは
悪夢てはないが、
その後が悪夢、仕事で必要なものを
いくら探しても見当たらない〜
😭
そっちの方が悪夢〜
😭
今日の聖句
2023年4月10日
復活
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中をのぞくと、
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が、一人は頭の方に、一人は足の方に座っているのが見えた。
天使たちが、「女よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「誰かが私の主を取り去りました。どこに置いたのか、分かりません。」
こう言って後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
イエスは言われた。「女よ、なぜ泣いているのか。誰を捜しているのか。」マリアは、園の番人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか、どうぞ、おっしゃってください。私が、あの方を引き取ります。」
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
イエスは言われた。「私に触れてはいけない。まだ父のもとへ上っていないのだから。私のきょうだいたちのところへ行って、こう言いなさい。『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のもとに私は上る』と。」
マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、「私は主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
(ヨハネによる福音書 20:11-18)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
今日の聖句
2023年4月11日
復活
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
(ヨハネによる福音書 20:19-23)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
復活したイエス・キリストは、
弟子たちに、罪を赦す権限を
与えた
聖書では狭き門から入れと言ってますが、なぜキリスト教信者は世界1,2?ですとか、聖書は世界一ベストセラーだからとそこを推して勧誘するのでしょうか。
新約聖書マタイの福音書7章13節
狭い門から入りなさい。
滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。
そして、それを見出す者はわずかです。
「狭き門より入れ」
これは別に、「天国に入りたい者は多いが、入れる者は少ない」、つまり、「競争率が高い」という意味ではありません
少なくともカトリックでは、そういう意味ではない
ルカの福音書13章23~24節
すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。
イエスは、人々に言われた。
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」
これは別に、「競争率が高い」って意味じゃないんで
競争じゃないから
エホバの証人だと、どうか分からんけど
あそこは、14万4千人しか神の国に入れない
それでいて、世界に数百万人の信者がいる
アンドレ・ジッドの名作「狭き門」
これは、「天国に入るのは難しい」と
信じる若い女が、純潔を重視して
結婚を断念する話
ジッドは、これを「プロテスタントの
厳格な倫理を批判するために書いた」
としている
もっとも、ジッド自身は同性愛者だった
>>114 > なぜキリスト教信者は世界1,2?ですとか、聖書は世界一ベストセラーだからとそこを推して勧誘するのでしょうか。
まあ、「国際性」がキリスト教の魅力であることは否定しがたい事実でして
キリスト教系の集まりで、外国人との
交流に魅了される人は結構いる
それを売り物にするのは当然でしょう
・・・それにしては、日本での信者数は
延びてないけど😫
狭き門は
聖霊の門だろうな、
聖霊というチョイスは
狭い
聖霊がないと
イエス・キリストの言葉の意味の真意は理解できないから、
>>121 仏教のプログラムシステム提示より勝る提示ができないから、
ま、聖霊の扱いが下手というべきなんやろな、
そこで、仏教のほうがアドバンテージがある。
晴佐久神父は
仏教相手でも余裕だ、
寺でキリスト教について語れる余裕がある
😇
>>114 > なぜキリスト教信者は世界1,2?ですとか、聖書は世界一ベストセラーだからとそこを推して勧誘するのでしょうか。
聖典が比較的、読みやすいのが
キリスト教の強み
その点、仏教は・・・
法華経や華厳経、唯識三十頌など
現代語訳でもマニアじゃなきゃキツい
福音の村
晴佐久神父紹介
1957年東京生まれ。
カトリック信者の両親のもと、教会大好き少年として育つ。少年時代の後半は、多摩地区のカトリック教会の青少年の交流・活動の場であった「多摩ブロック」に積極的に関わる。東村山の彼の自宅は、多くの人々が集う一大拠点となる。
上智大学神学部、東京カトリック神学院卒。87年、司祭になる。
エッセイ集、詩集、絵本、日めくりカレンダー、説教集、信仰入門書等、著書多数。
近著に「福音宣言」「幸いの書」「十字を切る」などがある。
2009年4月から2016年3月まで、「カトリック多摩教会」主任司祭。(多摩教会での最後の主日のミサは2016年4月3日)
その後、現在は、「カトリック浅草教会」と「カトリック上野教会」で主任司祭。
美術、音楽、映画、演劇、赤ワインが大好きで、毎夏の無人島生活は30年以上。
「福音を説明する司祭ではなく、宣言する司祭」として、カトリック教会だけではなく、プロテスタント教会、各地での講演会、大学などでも福音を宣言する。
著作も多数。
https://fukuinnomura.com/?page_id=10 >>129 キリスト総合スレの
コズモをトリコにしたらしい、
ヤツのレベルは高いからな、
ヤツの本を古本屋でチラ見して
わかりやすくてよかったので
キリスト教に信仰心芽生えだした友人にあげた、
めちゃんこ気にいっていたな〜
やはり、レベル高し〜
今日の聖句
2023年4月11日
復活
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
誰の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。誰の罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
(ヨハネによる福音書 20:19-23)
2023年4月12日
復活
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
そこで、ほかの弟子たちが、「私たちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない。」
八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスは答えて、「私の主、私の神よ」と言った。
イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである。」
(ヨハネによる福音書 20:24-29)
2023年4月13日
復活
その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちにご自身を現された。その次第はこうである。
シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それにほかの二人の弟子が一緒にいた。
シモン・ペトロが、「私は漁に出る」と言うと、彼らは、「私たちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も捕れなかった。
すでに夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何かおかずになる物は捕れたか」と言われると、彼らは、「捕れません」と答えた。
イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。
陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚が載せてあり、パンもあった。
イエスが、「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
そこで、シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多く捕れたのに、網は破れていなかった。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちは誰も、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であると分かっていたからである。
イエスは来て、パンを取り、弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
(ヨハネによる福音書 21:1-14)
2023年4月14日
復活
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の小羊を飼いなさい」と言われた。
二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「私の羊の世話をしなさい」と言われた。
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。
よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「私に従いなさい」と言われた。
(ヨハネによる福音書 21:15-19)
2023年4月15日
復活
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子が付いて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸元に寄りかかったまま、「主よ、あなたを裏切るのは誰ですか」と言った人である。
ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい。」
それで、この弟子は死なないという噂がきょうだいたちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「私の来るときまで、彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを知っている。
イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。もしそれらを一つ一つ書き記すならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
(ヨハネによる福音書 21:20-25)
幸福の科学では、大川隆法の復活祈願をやってるらしい
ラピチュのナルシズム物語のようなものだからな〜
ラピチュやシカシカよりも
他人を騙せるセンスがあったんやな〜
😫
>>140 師匠の親父は
臨終直後にガハッと起き上がり目を見開き、
もう一回臨終したらしい
😄
秋月リョウミンみたいな漫談ワールドが通用しない話だ
これは
😄
ま、俺も親族関連の死で、
う〜ん、死後の世界はありそうだ〜
という感じ〜
ま、俺の師匠も、そういう感じだな〜😄
>ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい。」
聖霊パワーゼロの割に〜
ま、終末論や進化論の是非は、
それは生きて行く間に
どれだけ、その人のメンタルの修正に役に立つ?
俺は、誰かさんに、いつも言いたくなるが、
言わない〜
😄
>>146
【回答】
宗教というものは、
①創造神と被造世界
②死後の世界(あの世)の実在と、死後の裁き(閻魔大王、最後の審判など)
の大前提の上にあって、教えを垂れているのよ!
だから、あくまでも死後の世界を否定したい人は、
宗教ではなくて、道徳団体や慈善活動の方に行くべきね。
むしろ、その方が”水に合っている”ハズですよ
. - ―- ._
/::.::.::.::.::.::.::.::.::.:`丶、
, -:'::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::. ::.\
/::.::.::.:: .::. ::.::.::. ::.::.: ::.:: ::.:. .. ::.:、ヽ
/::.::.::. : . .: .:,イl:. :. ::. :. : ::.. : ::.:. ::.:.ヽ
'::.::.::.: /.::. .::.:/ !l::.::.i:. . :::.. .::.::.:..:!::..::.i:l
l::.::.::.:/::.::.::.:/___!ト、:、ト::.::.ヽ::.::.、::.:、::.:.l:!
|::.|::.;'::.:::::::/ ___l! ヽヽ\卞¬ヽ::.ト、リ
l::.:l::i::.:::::/7'/¨Tヽ \ ,ァトヾ、ヽ\/
}::.:ヽ!;-イl {トイ} {t.j `,へX^
j::.::.::::{ r'l:| ヾソ , tソ. イ}i'´ 宗教こそが最先端の科学!
l::.:::::i:::lヽ.|:! _,′ {|::.l
l::.::.::l:::l::::::l:l:ヽ、 ` " /!|::.:l
l::.:::::l:::|:::::::|:!r1 ` ー-r‐:1:l:::.:l:!::.::l
i::.::.:::|:::l::::::::|:lj::``ー‐‐:'.}::::|::l:::.l:!::.::.l
i::.::.::::l:::レ'´ !:llヽ: : : : : : ヘ`ヽ::::l:|::::.::l
i::.::.:;. -'l l::|!: : : : ´: : :i ヽ!ト、::.:i
, -‐'´ | !:| i : : : : : : : l l:|、 `丶、
i' -、 l. |::l l : : : : : : : l _|:! ヽ. ハ
|′ ヽ l | !::! ‐¬ : : : : : : : l' l:|`ヽ l /l 尊者マールンキャプッタは人影のないところへ行って静思していたが、
その心に次のような考えが起こった。
「これらの考え方を世尊は説かれず、捨て置かれ、無視されている。
すわなち --- 世界は永遠であるとか、世界は永遠ではないとか、
世界は有限であるとか、世界は無限であるか、
魂と身体は同一なものであるとか、魂と身体は別個なものであるとか、
人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか・・・、
これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。
世尊がわたしに説かれなかったということは、
わたしにとって嬉しいことではないし、
わたしにとって容認できることでもない。
だからわたしは世尊のところへ参って、この意味を尋ねてみよう・・・。
もし世尊がわたしのために、これらのことを説かれないようなら、
わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう。」(中略)
「マールンキャプッタよ、
わたしはおまえにそのようなことを教えてやるから、
わたしのもとにきて修行せよ、と言ったことがあるか。」
「師よ、そのようなことはありません。」
「マールンキャプッタよ、
わたしはそのようなことを教えてやると言ったこともないのに、
愚かにも、おまえはわたしがそのように説くことを要求し、
そのようの説くことをしないわたしを拒もうとしている。
マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があって
はじめて人は修行生活が可能である、ということはない。
また人間は死後存在しないという考え方があって
はじめて人は修行生活が可能である、ということもない。
マールンキャプッタよ、
人間は死後も存在するという考え方があろうと、
人間は死後存在しないいう考え方があろうと、
まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
現実にそれらを征服することをわたしは教えるのである。
(マッジマ・ニカーヤ 63)
>>138 > 2023年4月15日
>
> 復活
>
> ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子が付いて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸元に寄りかかったまま、「主よ、あなたを裏切るのは誰ですか」と言った人である。
この人はヨハネ
> ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
ペトロは、ヨハネがどうなるか心配してたようだ
> 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか」と言われた。
深刻な話なので、ニックネームのペトロではなく、改まって呼びかけた
>
> よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」
>
> ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「私に従いなさい」と言われた。
ペトロはこの後、世界の都・ローマに伝道しにいって、そこで殉教することになる
サル山ボス争奪戦みたいなものなので
サル山欲望は続かないのだろう〜
両者共に、
ラピチュサルの方が怨念深いし、
ま、
ラピチュサルを焚き付けるがな〜
😫
ラピチュが怠けているので
シカシカアラート発令〜
😫
シカシカの攻勢に
リアクション無しの
ラピチュ〜
😭
シカシカアラート弾レス4発で
目覚めたようだ〜
0712 神も仏も名無しさん 2023/04/18(火) 11:34:12.28
宗教板で傍若無人にふるまう「鹿」こそ
この前も、深夜に休養宣言して
朝から書きまくってたな
7分ではな〜
即に反応しないと、
ドローンアラートを投下せざるを得なくなる〜
😫
>>160 悟りスレの調略をなまけずに
やらさせる
決意であ〜〜る
😫
昼12時15分から、夜8時頃までと
夜11時以降から朝7時まで
以外を
ラピチュ活動を
怠けさせずに
促進する〜
😫
今日の聖句
2023年4月16日
神の民
モーセは神に言った。「御覧ください。今、私はイスラエルの人々のところに行って、『あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました』と言うつもりです。すると彼らは、『その名は何か』と私に問うでしょう。私は何と彼らに言いましょう。」
神はモーセに言われた。「私はいる、という者である。」そして言われた。「このようにイスラエルの人々に言いなさい。『私はいる』という方が、私をあなたがたに遣わされたのだと。」
重ねて神はモーセに言われた。「このようにあなたはイスラエルの人々に言いなさい。『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が私をあなたがたに遣わされました。』
これこそ、とこしえに私の名
これこそ、代々に私の呼び名。
(出エジプト記 3:13-15)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月17日
神の民
「イスラエルの神、主はこう言われる。これらの良いいちじくのように、私はこの場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を良いものと見なす。
私は彼らに目を注いで恵みを与え、この地に帰らせ、彼らを建てて倒さず、植えて引き抜くことはない。
私は彼らに、私が主であることを知る心を与える。こうして、彼らは私の民となり、私は彼らの神となる。彼らは心を尽くして私に立ち帰るからである。
(エレミヤ書 24:5-7)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月18日
神の民
私たちは、またしても自分を推薦し始めているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがた宛ての推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、私たちに必要なのでしょうか。
私たちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、私たちの心に記されていて、すべての人に知られ、また読まれています。
あなたがたは、私たちが書いたキリストの手紙であって、墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人間の心の板に記されたものであることは、明らかです。
(コリントの信徒への手紙二 3:1-3)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
2023年4月19日
神の民
イスラエルは、獅子に追われ、散らされた羊。先にアッシリアの王が食らい、今度はバビロンの王ネブカドレツァルが骨を砕いた。
それゆえ、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。アッシリアの王を罰したように、今、私はバビロンの王とその地を罰する。
そして、イスラエルを元の牧場に帰らせる。彼はカルメルとバシャンで草を食み、エフライムとギルアドの山で心から満足する。
その日、その時には、イスラエルの過ちを探しても、もうない――主の仰せ。ユダの罪も見いだされない。私が生き残らせた人々を赦すからである。
(エレミヤ書 50:17-20)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
今日の聖句
2023年4月23日
神の派遣
主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことで悲しんでいるのか。私はイスラエルの王位から彼を退けた。角に油を満たし、出かけなさい。あなたをベツレヘム人エッサイのもとに遣わす。私は彼の息子の中に、王となる者を見つけた。」
サムエルは言った。「どうして、私が行けましょう。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえを献げるために来た』と言いなさい。
いけにえを献げるときには、エッサイを招きなさい。あなたがなすべきことは、その時に私が教える。あなたは、私がそれと告げる者に油を注ぎなさい。」
サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老たちは不安そうに出迎えて言った。「お出でになったのは、平和なことのためですか。」
サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を清めて、私と一緒にいけにえの儀式に出てください。」こうして、サムエルはエッサイとその息子たちを清め、いけにえを献げるために彼らを招いた。
彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だと思った。
しかし、主はサムエルに言った。「容姿や背丈に捕らわれてはならない。私は彼を退ける。私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」
エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」
エッサイは次にシャンマを通らせたが、サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」
エッサイは七人の息子をサムエルの前に通してみたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこれらのうち、誰をもお選びにならない。」
サムエルはエッサイに言った。「あなたの息子はこれだけですか。」エッサイは言った。「末の子がまだ残っていますが、羊の群れの番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、彼を連れて来てください。彼が来るまでは、私たちは食卓に着きません。」
エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。」
サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
(サムエル記上 16:1-13)
『聖書 聖書協会共同訳』より引用
サムエル記の主人公は、最後の士師サムエル
でも、それは最初のほうだけ
途中から主役はダビデになる
>>175 お願い
最近トイレご利用の方
大便の際のプリプリ音がウルサイと、他のお客様から苦情が来ております
トイレからプリプリ音が聞こえる度に、お買い物中のお客様が不快な思いされます
大便をされる方は、
プリプリ音の音量を小さくしていただきますようご協力お願いいたします
ヤヌスの鏡
あらすじ
「 “きのう 夜11時、あなたは どこにいましたか?”
と、きかれて思わずビクとした人は、ノーマルです。「もちろん眠っていたわ。どうして」と答えたあなたはアブです。 だって、ちょうどその時刻、あなたは渋谷の公園通りにいたじゃない。
不思議なことが次つぎ起きる。 見知らぬ人が自分めがけて近づいてくる。 スゴク怖くて面白い学園ドラマ「ヤヌスの鏡」。 12月4日の夜8時、ホントのあなたに会わしてあげる。
」
—番組宣伝資料より
「 古代ローマの神・ヤヌスは、物事の内と外を同時に見ることができたという。この物語は、ヤヌスにもう1つの心を覗かれてしまった少女の壮大なロマンである。もし、あなたに、もう1つ顔があったら・・・。 」
—オープニングナレーション
普段は真面目で気弱な優等生・裕美が、本人の意思とは関係なく、別人格である凶悪な不良少女・ユミに豹変し、夜の繁華街を我が物顔で闊歩し、暴走族などを相手に大暴れする。そんな裕美とユミの姿を通して、誰もが抱える変身願望と多重人格の恐怖を描くサスペンス調の学園ドラマである
主人公・小沢裕美は多重人格(二重人格)の少女。裕美の母親は高校生だった時、交際相手の子を妊娠するがその交際相手である男から捨てられてしまう。裕美の母は、両親の諌めにも耳を貸さずに私生児として裕美を出産。その後、あることが理由で赤子の裕美を残して入水自殺してしまう。そのことが深い傷となり、祖母は遺児の裕美に対し冷たく厳格に育てるが、裕美の母を非難し否定するような祖母の言葉の暴力や折檻により、裕美は自分の心を強く抑圧する。そのことにより、祖母の折檻を連想させるガラスや陶器類の割れる音(正確には破壊する場面を目撃したり、その場面を思い出したりという場合もこれに該当する)、裕美自身がぶたれたり(誰かがぶたれる光景を見ただけでも)、お香の匂い(お香以外にも、裕美自身にとって苦手と感じる“煙を発するものの臭い”)などが変身のきっかけとなり、裕美(ヒロミ)とユミの二つの顔(人格)が交互に現れる。
パンはそのまま食べるとして、配ったお魚はどうやって食べたと考えられているのでしょうか?
パンと魚の奇跡のとこでは書いてないけど
聖書の他の箇所では魚を焼いて食べてるので
日本人じゃあるまいし、生魚を食べる人たちではない
今日の聖句
2023年6月14日
神の輝き
ニネベに向けた託宣。エルコシュの人ナホムの幻の書。
主は妬む神、報復する神。
主は報復し、その憤りは激しい。
主は対立する者に報復し
敵に向かって怒りを燃やす。
主は怒るに遅く、力強い方。
主は罰せずにおくことは決してない。
主の道はつむじ風と嵐の中。
雲は主の足の巻き上げる砂埃。
主は海を叱りつけて干上がらせ
すべての川を涸れさせる。
バシャンとカルメルはしおれ
レバノンの花もしおれる。
山々は主の前に震え
もろもろの丘は溶け去る。
地は主の前に荒れ果てる
世界とそこに住むすべての者までも。
主の憤りを前に、誰が立っていられよう。
燃える怒りに誰が耐えられよう。
主の憤りが火のように注がれると
岩も御前に砕かれる。
主は恵み深く、苦しみの日に砦となり
主のもとに逃れる者を知っておられる。
みなぎる洪水で逆らう者を滅ぼし尽くし
敵を闇に追いやられる。
あなたがたは主に向かって何をたくらむのか。
主は滅ぼし尽くす方。
苦しみは二度と起こることはない。
彼らは絡み合った茨のよう。
酒に酔いしれているが
乾いたわらのように焼き尽くされる。
(ナホム書 1:1-10)
信者じゃなくて申し訳ないんだけど、パウロっていつキリスト教を習得したの?
キリスト教徒を迫害していたサウロは
ダマスカスに向かう途中で
イエス・キリストと出会った
目からウロコが落ちて、回心した
>>193 回心したってのは聞きかじりの知識で分かるんですけど誰にいつキリスト教を教わったのか知りたいなって思いまして
分らないってのが答え何でしょうか?
>>194 初期のキリスト教は、ユダヤ教の分派集団
パウロは高名なラビのもとでユダヤ教を学んだので、基礎はしっかりできていた
イエス・キリストがメシアだと知ったのは、パウロによれば、イエスの霊が直接通信してきたおかげ
あと、初期のパウロ書簡を研究してきた神学者たちによれば、パウロはエルサレム教会の人たちからキリスト教の話を聞いて影響を受けてたらしい
>>195 基本はしっかりあって差分は独学になるんですかね?
復活したイエスから教えてもらったってことは無いんでしょうか?
新約聖書「使徒行伝」抜粋
さて、ダマスコにアナニヤというひとりの弟子がいた。この人に主が幻の中に現れて、「アナニヤよ」とお呼びになった。彼は「主よ、わたしでございます」と答えた。
そこで主が彼に言われた、「立って、『真すぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。彼はいま祈っている。」
アナニヤは答えた、「主よ、あの人がエルサレムで、どんなにひどい事をあなたの聖徒たちにしたかについては、多くの人たちから聞いています」。
しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。 」。
そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるため、そして聖霊に満たされるために、わたしをここにおつかわしになったのです」。
するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。
そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取りもどした。
サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。
これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか」
>サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。
サウロが、キリスト教のアンチから伝道師に変身するまで、わずか数日
この間、サウロに起きたことといったら、「復活したイエス・キリストにより回心させられた」ことと、「アナニアたちとダマスコで何日か過ごした」ことだけ
ということは、サウロにキリスト教を教えたのは「イエス・キリストの霊」を別にすれば、「アナニアとその弟子たち」ということになるかと
>>197 数日間で新約聖書の知識を弟子に教わったととらえるのが良いのでしょうか?
>>198 すいません>199は読まずにレスしてました
アナニアと弟子に教わったんですね勉強になります
旧約聖書の煩雑な立法やらイスラエルの歴史やらに
比べれば、イエスの教えはシンプルで知識量が少ない
ユダヤ教の専門家がたちまち理解するのは当たり前
新約聖書を何度か読んだことのある者です。
重度のギャンブル障害で身を滅ぼしました。
ギャンブル依存はキリスト教的にも間違っていたでしょうか。
率直に言って死にたいです。
不品行のせいか若くして心臓病を患い、仕事もしてません。
ギャンブル障害のため何もやる気が起きません。
他の板ではゴミとかキ〇ガイとか叩かれます。
神は何のためにお金という概念を人間に発明させたの?
神を考えると苦しくなる人の話を聞いたらいけないのはなんでですか?
>>203 新約聖書は本来、底辺無能に読み聞かせる為に編纂された書物です。
浮世で敗北し立ち上がれない者を、安らかに逝けるように騙す手順書ですので
あなたの為にある様なモノですよ
>>205 神は介在していません。カトリックを筆頭にした自称正統派キリスト教会が
集金の為に有効活用したまでです
>>206 まず日本語を幼稚園からやり直しましょう
>>207 恐竜など存在しません。恐竜の化石は神が造りました
ここでいいかな?
小さい頃に叔母から聖書のコミカライズみたいなのをもらったのですが、長い間に紛失してしまいました。
ちょっと難解だけど面白かったので再入手したいのですが、手掛かりが全くありません…
叔母は健在なのですが聞く前に何とか自力で調べてみたいのでご協力おながいします。
・3巻セット、ペーパーバックみたいな感じ
・ボックスカバーみたいなのがついてた
・アメコミタッチ(アメコミの和訳なのかは不明)
・2巻は旧約、1巻は新約(うるおぼえ)
・表紙のひとつは石板を割るモーセ
・モーセのセリフが「よくも不満を働けるものだ。」で、面白い表現だなと印象に残る
基督教は一神教ですが、
科学や化学の根拠が聞いた限りほとんど無くして歴史上の記述であり、理屈的な人間には信じにくいのではないでしょうか。
また一神教には(信仰の自由)についての
束縛を(他にあってはならない)と他を強く
否定する意味合いがある気がしますが
基督教の信仰のメリットみたいなものが
あれば教えて下さい。
なぜなら私は基督教を素晴らしいとは
称賛しますが、多神あるいは無神への信仰も特に棄てるものではないためです
キリスト教は元々一神教ではありません
黎明期には、イエスとヤハウェは別の神であったり、イエスは人で旧約と新約の神は別であったり
そもそも旧約の神も複数であったり、どちらかと言うと多神教宗派の方が多かった
単に殺し合いで勝ち残った、即ちイエスの教えを無視した原始キリスト教が制覇したまでです
だから、新約・旧約共に、読む人によって捉え方が全く異なります
尚聖書は、この覇権を握った原始キリスト教に改ざんされまくっています
現在、主にプロテスタント系の研究機関によって「真の聖書」の証明が進んでいますが
殆ど反映されていません
何故だか分かりますよね
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