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背理法も待遇も 命題の真を求めるから ○しか求めなく 同じ物を求めてるだろうけど ○● ●○ 否決により可能性制限→特定 と 待遇が可能かで検算し→検証 という違いとかどう?
特定法 検証法 とか分類できるのか 色々見つけられたら分類できそう まだまだ宝は眠るね
リポドン テポドン も リスペリドン も違う 自分飲んでる
>>1 Q 背理法と対偶って違うの?
A 違います
<説明>
・下記の進研ゼミ包含関係 ベン図 「図1より,「 p ⇒q 」が真である,ということは,P⊂Qであるということ」
・いま、否定記号 ¬p, ¬q , 補集合を P^-, Q^- とします
対偶は、”「¬q→¬p」が真である,ということは,Q^- ⊂ P^-であるということ”となります
つまり、補集合Q^- と P^-をとると 包含関係が逆向きで、 命題否定関係も矢印が 逆向きです(ここまでは高校範囲)
・では、背理法は? (qの否定(¬q)) ・ p ⇒ 矛盾 (空集合Φ、 ”・”は積です)
つまり ベン図で P∩Q^- =Φ(空集合)
です
・背理法の利点は、証明に使える条件が増えていること
つまり、p ⇒q の証明は、pのみを使って q を導くのに対して
背理法では、pに加えて qの否定(¬q)も使えて、矛盾 (空集合Φ)を導けば良いってことです。この方が楽な場合があるってこと
(例 √2が無理数の証明で、背理法では”√2が無理数”の否定 → ”√2が有理数”と仮定する が使えるってこと)
なお、私は 10年くらいまえに ここ 当時2ch で 下記の ”背理法被害者の会”のことを教えてもらって、そのときに考えたことです
なお、下記もご参照ください
(参考)
https://kou.benesse.co.jp/nigate/math/a14m0119.html 進研ゼミ 高校講座
高校生の苦手解決Q&A
【数と式】「pならばq 」が真のとき,集合Pが集合Qに含まれる理由
Q
「pならばq 」が真のとき,集合Pが集合Qに含まれる理由
条件pを満たすもの全体の集合をP ,条件q を満たすもの全体の集合Qとするとき,「 p ⇒q 」が真であるときに P⊂Qが成り立つのか,P⊃Qが成り立つのかわかりません。
A
≪命題の真偽をベン図に表す≫
「 p ⇒q 」が真,つまり「 p ⇒q 」が成り立つ,ということをベン図に表してみましょう。
条件pを満たすもの全体の集合をP,条件qを満たすもの全体の集合をQとすると,Pに含まれているものx は,条件pを満たしています。今,「 p ⇒q 」が成り立っているのですから,xは条件qも満たしているということになり,xはQに含まれるのです。
つまり,Pに含まれているものはすべて,Qに含まれることになり,このことを集合のベン図で表すと,図1のようになります。
略
≪包含関係をベン図で表す≫
よって,図1より,「 p ⇒q 」が真である,ということは,P⊂Qであるということそのものであることがわかります。
★まとめ★
条件pを満たすもの全体の集合をP,条件qを満たすもの全体の集合Qとするとき,
「 p ⇒q 」が真⇔P⊂Q
となります。
つづく
つづき
http://abel.a.la9.jp/sub11.html 東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人 本文へジャンプ
背理法被害者の会
(通常背理法で証明される定理を背理法を用いず証明する)を東京理科大学数学科で実践しています。(理学部数学系教員の方たちや数学科の卒業生は周知のことと思います。)
https://note.com/uen0/n/n45881d3391b2 背理法に背を向ける(2002,2013・東京理科大学・理学部・数学科)
uenotakato(上野尚人:イマイさん)数学講師
2019年5月31日
(ここまでは数学的な話題をカットしてきましたが、いちおう数学としての意見も)
・「無理数であること」の証明に背理法を使うのは自然だと思います
・だって無理数の定義が「有理数で表せない実数」なんですから
・「有理数でないこと」を示すのに背理法は有効だし使うべきです
・対偶でも示せますが、対偶命題の真偽の概念を教えるのも骨が折れます
・言い出したら、入試問題にはいくらでもケチをつける余地はあります
・厳密にやってばっかりだと…疲れません?
つづく
つづき fuchino.ddo.jp/obanoyama2012-2016.html 伯母野山日記 2012 -- 2016 渕野 昌 updated on: 15.02.04 Title: 江田勝哉先生の 2015年 4月26日の email への返信 created on: 15.04.26(Su14:50(JST)) 江田様 大変に愉快な (というよりむしろ (書いてある内容が) 大変に不愉快な) 作文を送っていただき, どうもありがとうございました. 江田さんがそこで書かれている,「おかしな数学の先生たち」の三役ですが, 最後の人 (たち) については,リストに入れることに抵抗を感じるものがあります. この人たちは「数学教育」の人なんですよね? 日本は西洋数学を導入するときに, 学校教育は和算が,高等教育は洋学が受けもつ, という和算家との棲み分けをして,それが現代まで継承されているのだと思います. もちろん,この洋学の方の末裔にも, 木村某氏のように受けをねらったでたらめを書いてお金をかせいでいる不届な人がいたりもするわけですが, 少なくともこちらの方のコミュニティーはインターナショナルな数学コミュニティーと没交渉ではないわけだし, 改善の努力をしてみる価値があるかもしれないと思っています. 一方,和算の末裔の方は,そこで閉じていて, 何か言ってみても単に時間の無駄なだけではないでしょうか? 実際, 江田さんが作文でとりあげているこの著者たちの場合には, 江田さんの批判にもかかわらず, 今年に入ってから本を出してしまったということなので,これはもうつける薬がない, ということでしょう. ところで,この受けをねらったでたらめの人に関して書いた 文章 で --- といっても実は本人は大真面目で書いているのかもしれなくてその可能性も考慮して, 本気で批評を書きはじめた結果,どんどん長くなってきてしまっているのですが ---, (引用終り) 以上
>>13 >数学基礎論の関連した、おかしな数学の先生たち 江田勝哉 京都大学
江田勝哉さんは、早稲田大学みたいです
https://www.fos.kuis.kyoto-u.ac.jp/mailman3/hyperkitty/list/kisoron-ml@fos.kuis.kyoto-u.ac.jp/thread/645V2MVQUFO6HQHGSEONL5DKWKOFMENA/ 早稲田大学江田勝哉先生最終講義
Toshimichi Usuba
6 2月 2017
皆様、
早稲田大学の薄葉です。
本年3月をもちまして、早稲田大学基幹理工学部数学科 江田勝哉先生がご退職されますことに伴い、
3月11日(土)に最終講義が行われることをお知らせいたします。
日時:3月11日(土)13時〜14時30分
題目:Speckerの定理(双対定理)をめぐって
場所:早稲田大学西早稲田キャンパス52号館101教室
https://researchmap.jp/eda202110 江田 勝哉
エダ カツヤ (Katsuya Eda)
基本情報
所属早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部 名誉教授
学位
理学博士(筑波大学)
https://www.logic.info.waseda.ac.jp/ ~eda/index-j.html
江田勝哉のホームページ
>>12 追加 http://abel.a.la9.jp/sub11.html 東京理科大学理学部第一部数学科 教授 安部直人 本文へジャンプ 背理法被害者の会 (通常背理法で証明される定理を背理法を用いず証明する)を東京理科大学数学科で実践しています。(理学部数学系教員の方たちや数学科の卒業生は周知のことと思います。) 例えば、本HP01頁(説明も)にあるような 素因数分解を習った中学生なら誰でもわかる3行の直接証明: 「自然数 a,b につき、 aa と 2bb の素因数の個数は偶数と奇数 で異なるから aa≠2bb、よって √2≠a/b。」 (不要かもしれませんが少し説明を加えます。 a と b を素数の積で表したとき、 その素数(素因数)の個数をそれぞれ s と t とすれば、 aa と 2bb の素因数の個数は s+s=2s と 1+t+t=2t+1 です。) (引用終り) これヒューリスティックですね (発見的手法の試行錯誤で たまたま思いついただけw) 背理法には、ヒューリスティックでない利点があります https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF ヒューリスティック(英: heuristic、独: Heuristik)または発見的(手法)[1] [2]:7 [3]:272とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。 発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。 主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている。 心理学 心理学における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの意思決定を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは、経験に基づくため、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。 >>18 (引用開始) 「自然数 a,b につき、 aa と 2bb の素因数の個数は偶数と奇数 で異なるから aa≠2bb、よって √2≠a/b。」 (不要かもしれませんが少し説明を加えます。 a と b を素数の積で表したとき、 その素数(素因数)の個数をそれぞれ s と t とすれば、 aa と 2bb の素因数の個数は s+s=2s と 1+t+t=2t+1 です。) (引用終り) 頓智のヒューリスティックですがw こういう見方ができる(下記) 1)√2=a/b と仮定する 2)両辺を2乗して 2=aa/bbを得る 3) 2bb=aaを得る aaの素因数の個数は偶数 bbの素因数の個数は奇数 4)矛盾が導かれたので よって √2≠a/b ■ 背理法から出発して、殆ど同じ証明手法(=素因数の個数)が使えるぞ ”2bb=aa”が、「√2=a/b と仮定する」から 自然に出るw やれやれ >>19 タイポ訂正 bbの素因数の個数は奇数 ↓ 2bbの素因数の個数は奇数 訂正ついでに>>13 の追加引用 (2015 年に書いたもの) 数学基礎論の関連した、おかしな数学の先生たち 江田勝哉 (抜粋)(コピー文字化けあるがご容赦) 3. 背理法 関脇は初めに書いた本で「数理論理の手法- 証明の発見と背理法の 除去」安部直人中西泰雄共著で2015 年出版である。実は、この本は 読んでいない。ただ2013年2月の東京理科大の数学入試問題で、「この 問題の解答に背理法を用いてはならない」という但し書きのついた問 題が出題されたとき、安部直人先生にホームページに書かれている脱 背理法について、何をもって背理法といっているのか質問した。もち ろん、これで話がつくはずもなく、また、丁度、ユタに3ヶ月いってい るときであったので東京理科大のある先生と文科省にこの問題が不適 切であることを知らせた。そのため、私との間のやりとりで私の著書 に関してアマゾンに書いてあることが変であることも指摘した。そこ で安部先生は当然、敢然と反論した、理解していないのだから仕方が ないし、10 年以上、脱背理法にしがみついているのだから、変を認め たら、死んでしまうかもしれない。そのようなわけで、ホームページ の記述、アマゾンカスタマーレビューから変なことはよくわかってい るので、本とは別に、この主張がいかに変かを書いてみる。 中略 この2人(中西泰雄先生は安部先生直伝の脱背理法論者である) は古 典論理の体系を想定し、背理法の除去を提唱している。ここで、背理 法とは、否定の導入と狭義の背理法の両方を意味する。これが、形式 論理の話ならば、たとえばHilbert 流ならば推論はModus Penons と 量化子にかんするものだけだから、始めからどちらの推論もない。ま た、NK なら否定の導入はあるが狭義の背理法は推論としてはない。つ まり、これは形式論理に関する話ではない。 「背理法の仮定は結果的に正しくないので、証明中に正しくない主 張が導かれます」という主張がある、これが変なのだ。A という仮定 中略 正しいという形で推論されているというのが論理的解釈である。もち ろん、前提なしに正しいBi も現れるわけだが。当然、背理法でもこの ように考えるわけだが、安部先生は少なくとも背理法のときは仮定を とった命題を考え「暫定的に正しくない主張が導かれます」としてい る。これは変なのだが、何故、安部先生はこのように考え、もっとも だと感じる人がいるのかを分析し、以下に安部先生が論理的に混乱し ている様子を説明する。 A を仮定するということは、A の成立している、つまりA が正しい モデルで考えるということであるが、A の成立するモデルがある場合、 安部先生の頭は、そのモデルの中で働く。しかし、A の成立するモデ ルがない場合、安部先生の頭は混乱にはいり、頭が腐るという状態に はいる。頭が腐るというのは、本人がその被害にあったと書いてある わけだが、どうも、その結果、現在も腐っているらしい。A が簡単な 以下略す >>11 補足
(引用開始)
・では、背理法は? (qの否定(¬q)) ・ p ⇒ 矛盾 (空集合Φ、 ”・”は積です)
つまり ベン図で P∩Q^- =Φ(空集合)
です
・背理法の利点は、証明に使える条件が増えていること
つまり、p ⇒q の証明は、pのみを使って q を導くのに対して
背理法では、pに加えて qの否定(¬q)も使えて、矛盾 (空集合Φ)を導けば良いってことです。この方が楽な場合があるってこと
(引用終り)
下記2点に詳しい説明がある
(参考)
https://math.libretexts.org/Courses/SUNY_Schenectady_County_Community_College/Discrete_Structures/05%3A_Set_Theory/5.02%3A_Proving_Set_Relationships LibreTexts
Disjoint Sets
This is an instance where proving the contrapositive or using a proof by contradiction could be reasonable approaches. To illustrate these methods, let us assume the proposition we are trying to prove is of the following form:
If P , then T=∅ .
If we choose to prove the contrapositive or use a proof by contradiction, we will assume that T≠∅
. These methods can be outlined as follows:
The contrapositive of “If P , then T=∅ ” is, “If T≠∅ , then ┐P .”
So in this case, we would assume T≠∅ and try to prove ┐P .
Using a proof by contradiction, we would assume P and assume that T≠∅ .
From these two assumptions, we would attempt to derive a contradiction.
One advantage of these methods is that when we assume that T≠∅ , then we know that there exists an element in the set T .
We can then use that element in the rest of the proof.
We will prove one of th the conditional statements for Proposition 5.14 by proving its contrapositive.
The proof of the other conditional statement associated with Proposition 5.14 is Exercise (10).
Proposition 5.14
Let A and B be subsets of some universal set. Then A⊆B if and only if A∩Bc=∅ .
Proof
略
VIDEO Proof by Contradiction (full lecture)
Dr. Valerie Hower
2020/11/08
コメント
@monraet
5 か月前
Thanks Dr. However for all your math videos, they are the best
背理法は対偶証明法の一種 対偶証明法は背理法の一種 どちらも言ってることは排中律
>>22 ID:i1iEeuP3 さんか
ご苦労さまです
こういうとき
プロ数学者の御大がいると、貴重な意見が聞けるのだが・・w ;p)
>>22-23 めんどくさいので
下記を貼っておきます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%81%B6%E8%AB%96%E6%B3%95 対偶論法
論理学において、含意命題の対偶とは、条件をともに否定し、さらにその含意の向きを逆にしたものである。明示的に書けば、命題「AならばBである」の対偶は、「BでないならばAでない」となる。命題とその対偶の論理的な真偽は常に一致する。したがって、ある命題が真ならばその対偶も真であるし、偽の場合もしかりである[1]。
対偶論法(たいぐうろんぽう、英: proof by contraposition)とは、証明で用いる推論規則の一つである。対偶論法では、対偶を用いて命題の真偽を推論する[2]。言い方を変えると、「AならばBである」という結論を、「BでないならばAでない」から導く推論規則である。
→「モーダストレンス」も参照
https://en.wikipedia.org/wiki/Contraposition#Proof_by_contrapositive Contraposition (対偶)
Proof by contrapositive (対偶による証明)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E4%B8%AD%E5%BE%8B 排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し「P であるか、または P でない」という命題は常に成り立つという原理である。
歴史
バートランド・ラッセルと『数学原理』
バートランド・ラッセルは「排中律」と「矛盾律; law of contradiction」を区別した。The Problems of Philosophy において、彼はアリストテレス的意味において自明な3つの思考の法則を挙げている。
1.同一性の法則
2.無矛盾律: 「ある事象がある属性を持つと同時に持たないということはあり得ない」
3.排中律: 「全ての事象は、ある属性を持つか持たないかのどちらかである」
これら3つの法則は自明な論理原則の例である(p. 72)
これは少なくとも二値論理では正しい(例えば、カルノー図を参照)。ラッセルの第二の法則は第三の法則で使われている非排他的論理和の「中間」を排除している。そして、これは Reichenbach が一部の論理和を排他的論理和に置換すべきであると主張する根拠となっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Law_of_excluded_middle Law of excluded middle
Formalists versus Intuitionists
背理法は排他では?否決されるから 待遇法は待遇は同時に成立するなら排中?
疑問…なんじゃこりゃ 肯定…肯定される説明 否定…否定される説明(背理法が1つ)
高レベルの数学者の論文の玉石混合 金…低レベルの数学者の理解しやすいまたは理解しにくい、ハイクオリティ 玉…低レベルの数学者の理解しにくいまたは理解しやすい、ハイクオリティ 石…理解しやすいロークオリティ 氷…理解しにくいロークオリティ 高レベルの数学者の論文は、金玉は排中律だけど 玉石や玉氷、金石や金氷、は排他律
低レベルの数学者の論文は 金玉は排他律になり 金氷と金石と玉石と玉氷は排中律
氷枕と金玉は同じ場所に置くことができる 金玉打ったら冷やすんじゃない?
玉石混合は慣用句化可能だったけど 金玉混合は慣用句化不可能かもね
数学者のクオリティ論文を 背理法 待遇法 で調理するとどうなる?
高レベルの数学者であれば~(背理法)(待遇法) 低レベルの数学者であれば~ 数学者の高レベルと低レベルの 相当認定の方法を考えることか
有名になる数学者の 相当特徴は? さっきの金玉混合玉石混合も絡めて
面倒くさいので、メモ貼ります ”ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において背理法によって非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。 それゆえ、無限集合において「排中律」、すなわちある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。” (参考) ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6) 直観主義(英: Intuitionism)とは、数学の基礎を数学者の直観におく立場のことを指す。 来歴と評価 カントールの集合論に対抗する形でクロネッカーやポアンカレによってもなされていたが、最も明確に表明したのはオランダの位相幾何学者ブラウワーである。ブラウワーの立場に対してポアンカレらの立場は前直観主義と言われることがある。 ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において背理法によって非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。 それゆえ、無限集合において「排中律」、すなわちある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。 ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウワーからの批判的主張に対し排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる[1]。 ブラウワーの主張は感覚的で分かりにくかったが、その後ハイティング等によって整備され、結果的には古典論理から排中律を除いた形で形式化されたものが今日、直観主義論理として受け入れられている。 現代では直観主義論理は、数学の証明は全て構成的に為されなければならないという主張(数学的構成主義)と関連が深いと考えられている。 直観主義論理に基づく数学によって得られる成果は、古典論理に基づく数学に比べて制限されたものにならざるを得ない。具体的には、ab = 0 から a = 0 または b = 0 を直接結論することはできない。なぜなら、直観主義においては、「a = 0 または b = 0」が証明できるというのは、「a = 0」が証明できるか、または「b = 0」が証明できることを意味するからである。また、ワイエルシュトラスによる実数体の任意の有界な部分集合は上限を持つという定理が証明できない。 しかし、直観主義は単なる思想としてだけではなく、数学基礎論や計算機科学に様々な影響を与えている。 つづく
つづき ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96%E7%90%86 直観主義論理(英: intuitionistic logic)または直観論理(ちょっかんろんり)、あるいは構成的論理(こうせいてきろんり、英: constructive logic)とは、ある種の論理体系であり、伝統的な真理値の概念が構成的証明の概念に置き換わっている点で古典論理とは異なる。例えば古典論理では、全ての論理式に真か偽の真理値 ( {⊤,⊥}) が割り当てられる。このときその真理値に対する直接的なエビデンスを持つか否かは問題にしない。これはどのような曖昧な命題においても「真か偽かが決定可能である」ということを意味する。対照的に、直観主義論理では確定的に論理式に真理値を割り当てるのではなく、それが真であるとは「直接的なエビデンス」つまり「証明」があることと見做す。 証明論的な視点から見ると、直観主義論理は古典論理の制限であって排中律や二重否定除去が公理として許容されないものである。排中律や二重否定除去はいくつかの論理式に対しては個別に証明できることがあるけれども、古典論理のように普遍的に成立することはない。 直観主義論理の色々な意味論が研究されている。ひとつの意味論は古典的なブール代数値意味論を写しとったものでブール代数の代わりにハイティング代数を用いる。別の意味論ではクリプキ・モデルを用いる。 (引用終り) 以上
直観主義論理と背理法 下記が分かり易い mathlog.info/articles/3000 E 自己紹介・記録 2022年2月15日 私が直観主義論理を擁立するたった1つの理由 本題に入る前に 最初に明確にしておきたいのですが、私は古典論理における背理法や排中律の正しさを疑っているわけでは全くありません。 直観主義論理を擁護するとしたらこの路線かなあと思いましたので記事にしてみました。 古典論理とは? 略 直観主義論理 そこで現れるのが直観主義論理です。 直観主義論理では「命題とは真であるか偽であるかが定まるものである」という真理値としての命題の定義を捨て、その代わりに「命題とはそれが真であるかどうかを判断できるものであり、命題が真であるとはその証明を実際に構成して説明できることである」というように定義します。 もちろん、この後には証明の構成とは何か?という説明が必要ですが今回は割愛します。 これにより何が変わるかと言うと、命題には真偽を定めなければならないという古典論理の制約が無くなるため、自由変数命題も命題として扱うことができるようになります。つまり、"自由変数命題が真である"ということを議論できるようになります。 そして、自由変数命題の証明とはまさしく自由変数証明のことです。 このように、構成の観点から普段私たちが数学をする際に行っている無限の領域に対する量化を正当化することができます。 ただし、古典論理を捨てる代償もあり、直観主義論理の命題の定義では「命題の真偽が定まる」とは限らなくなってしまうため、特に命題の否定の意味が古典論理から大きく変わってしまいます。 これにより、古典論理では"命題の定義より明らか"であった排中律であったり背理法であったりが一般には成り立たなくなる……というのは有名な話です。 しかし、排中律を捨てるか無限領域での量化を捨てるかを選ぶとすれば私は前者を選ぶでしょう。 (引用終り)
下記は、かなり荒っぽい説明ですが ゆえに分かり易い説明で、参考になります 『集合論のパラドックスです。例えばXを自分自身を元として含まない集合の集合としましょう。さてX∈Xでしょうか。X∈XとするとXの定義からXの元ではありません。一方X∈Xではないとすると、X∈Xのはずです。いずれにしても矛盾が導かれます。』 これに対する直観主義(構成主義)は 『排中律(任意の命題Pについて「PであるかPでないかどちらかである」とする主張)を否定する』です note.com/yoriyuki/n/n456e260e4b1f 数学基礎論論争は結局どうなったか 筆の滑り 2020年5月17日 数学に関心のある人なら、20世紀の初めに「数学基礎論論争」があったことをぼんやりとは聞いたことがあると思います。数学基礎論論争が結局どう
つづき 直観主義(構成主義) 直観主義数学とは、オランダの数学者ブラウアー(1881-1966)によって提唱された立場です。直観主義数学は排中律(任意の命題Pについて「PであるかPでないかどちらかである」とする主張)を否定する数学と紹介されることがありますが、排中律を否定するのはその主張の一部であって、他の古典数学の主張も否定されたり、古典数学とは相容れない独自の主張がなされることもあります。また、気まぐれに排中律を否定しているわけではなく、その背景には理由付けが存在します。 直観主義数学は大雑把に言って「具体的に操作可能なもの」だけが数学の対象だと考えます。そして、何かが存在すると主張することはそれを「構成」することだと考えます。また、「証明」自体も数学の対象です。ただし、数学の証明とは形式論理の推論の並びではなく、ある数学的命題の正しさを「構成」する「直観」です。 略 新しい数学の基礎として注目されているホモトピー型理論は直観主義型理論にUnivalent axiomという公理を追加したものになっています。また、古典的な数学をある程度直観主義の数学で解釈することが可能です。なので真っ向から対立するものだ、と考える必要はないことを付け加えておきます。 その後どうなったか 集合論のパラドックスについては、矛盾を含まないだろうと思われるZFCという小公理系が整備されて、あまり問題にならなくなりました。一方で、数学基礎論論争をきっかけに始まった数学の基礎についての研究は、数理論理学という形で(数学の基礎とはもはやあまり関係はなく)発展しています。また、集合論は圏論を扱うのがやや不便なので圏論そのものを基礎に据える考えや、直観主義の立場にたったホモトピー型理論などが新しい数学の基礎として研究されています。 (引用終り) 以上
>>45 おちんちんおまんまんスレのスレ建てもちょくちょくご苦労様です楽しみに待ってますゞ
あれ?別人? リンクご苦労様ですだから 本人かと思ったけど
本人的リンクご苦労様ですの意味じゃなかったか 誤解したぜ 別人的何をご苦労様ですだったんだろ?
喩えられるなら小指ぶつけてしまったぜをこんな状況の慣用句にできないか
>>43-46 42で、11や40など、長文貼付けは 殆ど私です
で、
>>41 で沈んでいた (sageで、書いていたので)
のを age てくれたことの ”ご苦労さま”です
簡単ですが、説明以上です (^^
メモ <chiebukuro.yahoo>背理法 (なお az1********さんにほぼ賛成。hat********さんの 回答は首肯できる部分は多いが 同意できない箇所も多くある。) detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14224170274 質問 jcg********さん 2020/5/2 対偶を用いた証明と背理法は本質的に同じものなのに、高校数学ではなぜこれらを区別して教えるのでしょうか。 A⇒Bにおいて、対偶では¬B⇒¬Aが、背理法では¬(A⋀¬B)が真であることを示すとよく言われます(?)が、¬B⇒¬Aで示すことはA⋀¬B⇒A⋀¬A⇔F∴(A⇒B)⇔¬(A⋀¬B)⇔Tで背理法で示しているのと同じことです。しばしば⇒の無い証明では対偶をもちいて証明できないので背理法を使うとされますが、十分条件が恒真命題であるだけで本質的に区別されるものではないと思います。インターネット上にはこれら2つの証明の違いを分かりやすく解説することを銘打ったサイトがたくさんありますが、言葉の上で「対偶を取って」とか「仮に~とすると~矛盾する」とかいう定型句を挙げて分かった気にさせているものしかありません。私が誤解している可能性も否定できませんが、高校数学を教えている人のほとんどが論理を理解していない気がします 回答(7件(うち2件抜粋)) az1********さん 2020/5/2 「対偶を用いた証明と背理法は本質的に同じもの」というのは理解できませんが 本質的にどうかという話ではありません。本質ではなく実用の話です。初学者が 数学の証明を獲得していく過程で出会うものです。教育の話です。 p→qという命題を証明するのに (1) 直接p→qを証明する。pを仮定しqを示す。 (2) 対偶による証明 ¬q→¬pを示す。¬qを仮定し¬pを示す。 (3) 背理法 p⋀¬q→φ pと¬qを仮定し矛盾を出す。 (1)なら使えるのはpだけ、(2)なら使えるのは¬qだけ、(3)なら使えるのはpと¬q 単純に言えば(3)なら使えることが多いから普通は楽でしょということです。 もちろん使えることが多いとわけわからなくなるとかもありますが。 背理法と言えばこれというような古典的な例を出します。 x^2=2ならxは無理数である。 普通に勉強した高校生ならこれを背理法で証明するのはできるでしょう。 これを対偶を使って証明できる高校生はあまりいないと思います。 (1)でうまくいかなかったら(2)や(3)もありますよ。 いろいろやってみて下さい。難しそうな問題は(3)かな。 というようなことだと私は思っています。 hat********さん 2020/5/3 13:01 対偶による証明と背理法による証明は異なります。 その違いは「二重否定の除去」を認めるか否かにあります。 二重否定の除去を認める、古典論理の体系では、対偶と背理法はどちらも利用でき、論理的には等価です。 二重否定の除去を認めない、直観主義論理の体系では、対偶は使えません。また、私たちが「背理法」と呼んでいるものは実は2種類あるのですが、直観主義論理では、片方の背理法だけが使え、もう片方の背理法は使えません。 つづく
つづき 論理の体系について簡単に説明します。 ・命題A,B,C,…という概念があります。 高校数学や大学の初等数学では「命題:真偽がはっきりしているもの」と教わりますが、この定義は不満足です。命題とは何かをまだ定義していないのに、真偽とは何かを定義できるはずがないからです。 難しい話は避けますが、ここでは「命題:数学記号や日本語が正しい文法で書かれていて、 自己言及(「この文章は偽です」など)といったやっかいな問題をはらんでいない文章」としましょう。 ・論理記号として、⇒、⇔、∧、∨の記号が定義されており、 A∧B ⇔ B∧A A∨B ⇔ B∨A (A⇒B)∧(B⇒A) ⇔ (A⇔B) A∧(A⇒B) ⇒ B (A⇒B)∧(B⇒C) ⇒ (A⇒C) などといった性質が成り立つものと定義されています(上が全てではありません。詳しくは省略)。 ・命題A,B,C,…と同列の概念で、「矛盾」という命題⊥が存在します。 ⊥はA,B,C,…同様に、上の⇒、⇔、∧、∨の性質に当てはめて使うことができます。 また、⊥だけにしかない性質として、 ⊥⇒A(Aは任意の命題) が成り立つものと定義されています。矛盾からは何でも導けるってやつです。 ・矛盾を定義したあとで、ようやく「否定」を定義します。 Aの否定¬Aを、「A⇒⊥」の省略表記として定義します。 証明は省略しますが、次の定理が成り立ちます。 ①A∧¬A ⇒ ⊥ ②(A⇒B) ⇔ ¬A∨B なお、上のように¬記号を定義することを、「否定導入」といいます。 「否定導入」は「狭義の背理法」とも呼ばれます。 「ある命題Aが成り立つと仮定して、いろいろ式変形してみたら、B∧¬B(Bは何か別の命題)が証明されちゃった。 よって A ⇒ B∧¬B ⇒ ⊥であり、A⇒⊥が証明された。 これは¬Aの定義なので、¬Aが証明された。」 という形で、私たちがよく「背理法」と呼んでいた証明が正当化されるのです。 ただし、後で述べるように、これは2種類ある背理法うちの1種にすぎません。 ここまでは直観主義論理でも古典論理でも同じです。 さて、次の主張は、ここまでの定義や定理を使っても証明できません。 ・二重否定の除去 ③¬¬A ⇔ A 日常世界では誰もが当たり前のように使っている「否定の否定=肯定」ですが、論理学の中では自明なことではないのです。 これを認めるか認めないか(公理に入れるか入れないか)によって、立場が別れます。 直観主義論理では二重否定の除去を認めず、古典論理では二重否定の除去を認めます。 つづく
つづき 対偶について説明します。 略す 2種類ある「背理法」とはなんぞや、について説明します。 「A⇒⊥である。よって¬Aが成り立つ」これは「否定導入」または「狭義の背理法」といい、どちらの論理体系でも使えるのでした。 一方で、 「¬A⇒⊥である。よってAが成り立つ」これはどうでしょう? この方法は「否定導入」に加えて「二重否定の除去」を利用する必要があるため、一般に直観主義論理の立場では使えません。こちらを「広義の背理法」といいます。 高校数学は当然古典論理の立場なので、2種類の背理法を区別する必要はなく、どちらも単に「背理法」と呼んでいました。 しかし論理学の中では、使い分けに注意が必要です。論理学の中で単に「背理法」と言った場合、「否定導入」のみを指すのか、「広義の背理法」も含めるのか、予め断っておかないと誤解を招く可能性があります。いっそ「背理法」という言葉自体使わないことにして「否定導入」や「二重否定の除去」だけで用語を統一するのも手です。 まとめると、次のようになります。 古典論理→否定導入(狭義の背理法)、広義の背理法、対偶、全部OK。 直観主義論理→否定導入(狭義の背理法)のみOKで、広義の背理法や対偶はNG。 ここで例題。高校数学の有名な問題に、「√2が無理数であること」の「背理法」による証明がありますね。 「有理数だと仮定したら、「整数aが2を素因数に持つ」「整数aが2を素因数に持たない」の両方が成り立つ、よって矛盾」というやつです。 この証明はどっちの「背理法」でしょうか? 答は「狭義の背理法」すなわち「否定導入」です。 そもそも無理数であることの定義が「有理数でない」すなわち¬「有理数である」という形です。 「有理数である」と仮定して矛盾を導き、よって¬「有理数である」と結論づけるのは、否定導入です。二重否定の除去は使っていません 略す 以下、コメント返し。 > A⇒Bにおいて、(中略)背理法では¬(A⋀¬B)が真であることを示すとよく言われます これは広義の背理法です。 「¬(A⋀¬B)が成り立つ。よってA⇒B(すなわち¬A∨B)も成り立つ」という論証は、二重否定の除去を前提としています。 略す (引用終り) 以上
メモ 追加 <chiebukuro.yahoo>背理法 ( ベストアンサー 数ちゃんさん 分かり易い) detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14241558964 1149769776さん 2021/4/10 背理法は「正しい」と言えるのか? 十数年前、高校生だった時に、塾で数学を教えていたアルバイト講師から、 「論理学でめちゃくちゃ凄い先生がいて、その先生いわく、背理法による証明は厳密には正しいとは言えないらしい」という雑談を聞きました。 当時は聞き流す程度でしたが、年月が経ってもその言葉が気になり、忘れることができません。 今思うと、会話のつなぎのために講師が聞きかじった噂話をしただけかもしれません。 背理法が、厳密には正しくないという議論は存在するのでしょうか? 数学に詳しい方、ご回答いただけると幸いです。 ベストアンサー 数ちゃんさん 2021/4/10 んー講師さんの言ってる意味がよくわからないですね。背理法は別に間違ってないです。厳密には正しくないというのは初耳です。 論理学でめちゃくちゃ凄い先生なのにそんなこと言うとは全然思えないので講師さんが勘違いしたのでしょうか...。 一応仕組みを説明すると以下の公理(証明なしで使う命題)を使います。 公理「排中律:全ての命題には真か偽が決まり、そのどちらかでないといけない。どちらでもある、どちらでもないはありえない。」 公理「否定導入:Pを仮定して矛盾(ある命題Qが真でもあり、偽でもある、が成り立つこと)が生じたら、notPが結論できる。」 公理「二重除去:notPでない、からPである、が結論できる。」 【背理法とは】 実は二つあります。 1:Pを仮定して矛盾したらnotPを結論すること。 2:notPを仮定して矛盾したらPを結論すること。 1はそのまま否定導入です。 2は否定導入と二重除去か、否定導入と排中律で証明できます。二重除去から排中律が、排中律から二重除去が導出できますのでどっちかを採用すれば十分だったりします。 狭義には2のことを背理法と言うのですが広義にはどちらも背理法と言います。2つは全然性質が違うのですがね....。 【原理】 ある命題Pを証明したいとき、notPを仮定する。ここである命題Qが矛盾する、つまり命題Qが真かつ偽である、が証明できたら、否定の導入からnot notPが結論できる。二重除去または排中律よりPが結論できる。 勘違いするところなんてないに等しいので本当によくわからないのですが、もしかしたら「狭義の背理法を認めない数学がある(直感主義論理)」と言うのを勘違いしたのかもしれません。
追加 ・ラッセルのパラドックス=数学の危機 ・ラッセルのパラドックスとは、簡単に言えば”(このカッコに書いてある文はウソです)”というような 自己言及で、自己否定をいう文です。 それを、集合論で 「それ自身を要素として含まない集合」を 作ると矛盾(下記) ・ラッセルのパラドックスから、数学の危機が認識され、当時の数学者たちが努力した 大きく3つの解決法が提案された 1)一つは、ラッセル自身の提案の型理論 2)もう一つは、ヒルベルトを中心とする 公理的集合論 3)3つめが、ブラウワーの直観主義 ・さて、そもそも ブラウワーの直観主義は、「排中律」や「二重否定の除去」を認めないとか言われますが それは、主に ”ラッセルのパラドックス=数学の危機”のためであって、単に古典論理を否定したい ためではありませんw ;p) ・そして、ブラウワーの直観主義は、現代の構成主義(コンピュータ論理)や 量子論理(量子力学の世界の論理)に繋がっています (参考) ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9 ラッセルのパラドックス(英: Russell's paradox)とは、素朴集合論において、自身を要素として持たない集合全体からなる集合の存在を認めると矛盾が導かれるというパラドックス ラッセルの型理論(階型理論)の目的のひとつは、このパラドックスを解消することにあった[5]。 概要 「それ自身を要素として含まない集合」を「M集合」とし、「すべてのM集合を成分とする集合R」を作ってみる そうすると、「任意の集合X」に関しては、「XはRに含まれる」⇔「XはXに含まれない」という定式が成り立つ そして特にX=Rとすれば、「RはRに含まれる」⇔「RはRに含まれない」となり、 パラドックスが明示される。 集合論が形式化されていないことが矛盾の原因なのではなく、このパラドックスは、古典述語論理上の理論として形式化された無制限の内包公理を持つ素朴集合論や、直観主義論理上の素朴集合論においても生じる。したがって論理を古典論理から直観主義論理に変更してもラッセルのパラドックスは回避できない。パラドックスの回避については、様々な方法が提案されている。詳細は矛盾の解消を参照。 矛盾の解消 公理的集合論によって何をもって集合とするかについての形式的な整備が進められ、素朴(だが超越的)な Rの構成を許容しない体系が構築された。 集合論の公理は通常の数学を集合論の上で展開するために十分なだけの集合の存在を保証しつつ、パラドックスを発生させる集合は構成できないように慎重に設定する必要がある。 1.公理的集合論による解消[注 1] 略す(注:普通のZFCが代表例) 2.単純型理論による解消[注 2] 項に型と呼ばれる自然数 0, 1, 2,… を割り当て、述語記号 ∈ を (n階の項)∈(n+1階の項) の形でのみ許容する(すなわち論理式の文法を制限する)ことで矛盾を回避する。単純型理論は階型毎に無制限の内包公理を持つが、無矛盾である。 3.部分構造論理による解消[注 3] en.wikipedia.org/wiki/Russell%27s_paradox Russell's paradox つづく
つづき www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/28/2/28_2_55/_pdf 科学基礎論研究 2001 数学の回顧と展望 竹内外史* P2 ラッセル(B. Russell)はカントールの集合についての 矛盾を分析して,矛盾に必要なギリギリの性質を取り 出してラッセルのパラドックスを作りました。これで 素朴集合論の矛盾が決定的になりました。 之に対して,数学に用いられる集合概念の構成は可 で,上の矛盾はいずれも成立しない公理的集合論が ツェルメロ(E. Zermelo)に依って始められ,フレン ケル(A. Froenke1)に依って出来上がり,ZF集合論 1922年)と呼ばれています。今世紀の数学は公理的集 論のなかの数学と考えることが出来ます。之は現実 的な解法でした。しかし数学で常用される集合概念か ら矛盾が出たということは数学の危機としてとらえら れ,その原理的,根本的な解決を目指す動きが出て来 ました。 ヒルベルトは数学の体系を形式化し,その形式的な 体系から矛盾が生じないことを有限の立場で証明する というヒルベルトのプログラムを提唱しました。 ブラウワー(LEJ. Browner)は一般的に排中律を 用いることを禁じたconstructive mathematicsを構 成することを主張して直観主義と呼ばれています。 ラッセルとホワイトヘッド( A. N. Whitehead)は predicativeと呼ばれる直接定義が出来る命題に対し てのみ集合を定義し,数学を構成することを提唱して 論理主義と呼ばれています。 つづく
つづき ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6) 直観主義 (数学の哲学) en.wikipedia.org/wiki/Intuitionism Intuitionism (直観主義) (google訳) 歴史 直観主義の歴史は、19 世紀の数学における 2 つの論争にまで遡ることができます。 最初のものは、ゲオルク・カントールによる超限算術の発明と、その後の彼の師であり確固たる有限主義者であったレオポルド・クロネッカーを含む多くの著名な数学者によるその否定であった。 2 つ目は、ゴットロープ・フレーゲが集合論を通じて数学全体を論理的定式化しようとした試みと、ラッセルのパラドックスを発見した若きバートランド・ラッセルによるその試みの挫折である。フレーゲは 3 巻からなる決定的な著作を計画していたが、ちょうど第 2 巻が印刷されようとしていたとき、ラッセルはフレーゲに手紙を送り、フレーゲの自己言及の規則の 1 つが自己矛盾であることを証明した彼のパラドックスの概要を説明した。第 2 巻の付録で、フレーゲは彼の体系の公理の 1 つが実際にラッセルのパラドックスにつながることを認めた。[ 4 ] これらの論争は密接に結びついています。カントールが超限算術の結果を証明するために使用した論理的手法は、ラッセルがパラドックスを構築するために使用した手法と本質的に同じだからです。したがって、ラッセルのパラドックスを解決する方法の選択は、カントールの超限算術に与えられる地位に直接影響を及ぼします。 20世紀初頭、LEJ ブラウワーは直観主義の立場を、ダヴィド ヒルベルトは形式主義の立場を代表した(ファン ハイエノールト参照)。クルト ゲーデルはプラトン主義と呼ばれる意見を述べた(ゲーデルに関するさまざまな情報源を参照)。アラン チューリングは「証明のすべてのステップが機械的ではなく、一部は直観的な、非構成的論理体系」とみなしている。 [ 5 ]その後、スティーブン コール クリーネは、メタ数学入門(1952)で、直観主義についてより合理的な考察を行った。 [ 6 ] ニコラ・ギシンは直観主義数学を採用して量子不確定性、情報理論、時間の物理学を再解釈している。[ 7 ] ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E5%90%A6%E5%AE%9A%E3%81%AE%E9%99%A4%E5%8E%BB 二重否定の除去(にじゅうひていのじょきょ、英: double negation elimination)および二重否定の導入(にじゅうひていのどうにゅう、英: double negation introduction)は、いずれも推論の種類の一つである 素朴集合論でも、補集合が同様の性質を持つ。集合 A と集合 (A^C)^C は等価である(ここで、A^C は A の補集合を意味する) (引用終り) 以上
(参考)追加 ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E8%AB%96%E7%90%86 量子論理 量子論理(りょうしろんり、quantum logic)とは、量子論において見られる現象と相似するような形式論理の体系で、分配律が成り立たない無限多値の論理である[1]。ギャレット・バーコフとジョン・フォン・ノイマンの1936年の論文[2]に始まり、1960年代に直交モジュラー束(orthomodular lattice)の研究と並行して多くの研究成果が出された[3]。 概要 フォン・ノイマンの『量子力学の数学的基礎』により、量子力学のいわゆる「波束の収縮」は、可分複素ヒルベルト空間の線形部分空間への射影と形式化された。そこで、論理における命題を量子力学における観測に対応させる、すなわち、命題を射影と同一視することを考えてみる。 古典力学では、観測可能な物理量は状態の関数であり、状態により一意的に決まる。しかし量子力学では、物理量(オブザーバブル)の決定には相互作用が必ずともなう。特に不確定性原理によりトレードオフの関係にあるものがあり、これは論理において古典論理の一部の法則に従わないものとなることを意味する。 (古典)命題論理がブール束に従う論理であるのに対して、量子論理はヒルベルト空間の閉部分空間の成す直交モジュラー束に従う論理である。H をヒルベルト空間、L(H) を H の閉部分空間全体の集合とする。L(H) に集合の包含関係で順序を入れると、L(H) は完備な直交モジュラー束を成す。具体的には共通部分の成す部分線型空間が∧、和集合の張る部分空間の閉包が∨、直交補空間が¬に対応する。古典論理と大きく異なるのは分配律、すなわち 以下略す
追加参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E8%AB%96%E7%90%86 古典論理(こてんろんり、英: classical logic)は形式論理の部類で、最も研究され最も広く使われている論理である。標準論理(英: standard logic)とも呼ばれる[1][2]。
特徴
以下に示す性質が特徴である:[3]
1.排中律の採用及び、二重否定の除去;
2.無矛盾律と、矛盾からはいかなることも導ける(en:Principle of explosion)とすること(矛盾許容論理も参照);
(3~5 略す)
以上の諸条件からは、古典論理は命題論理と一階論理に必ずしも限られないが、普通はそれらに議論を限定する[4][5]。
意味論
略す
古典論理の例
略す
https://en.wikipedia.org/wiki/Classical_logic Classical logic (or standard logic)[1][2] or Frege–Russell logic[3] is the intensively studied and most widely used class of deductive logic.[4] Classical logic has had much influence on analytic philosophy.
History
Main article: History of logic
Classical logic is a 19th and 20th-century innovation. The name does not refer to classical antiquity, which used the term logic of Aristotle. Classical logic was the reconciliation of Aristotle's logic, which dominated most of the last 2000 years, with the propositional Stoic logic. The two were sometimes seen as irreconcilable.
以下略す
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_logic History of logic
略す
「p is true ⇒ ¬p is true」⇒ 「¬p is true」 は、背理法で この対偶はどうなるのか、後で考えてみよーっと 考えて分かったら、その成果を、無限日未満に 書込んであげる。
>>58 自分に話しかける編
trueって四文字もあって、長文になって、複雑すぎ
trueの代替えなら、大文字T で決まりだね。by もう1人の自分
そっかT でいいね。by 58
>>57 大学数学で落ちこぼれた●●がドヤ顔で論理の上っ面ばかりなでまくる
あっそうだ、自分の書込みを、みてたら、 ちょっと閃いた。なにかって 大文字T これはtrueの意味。さて、 Tを、逆さにすると⊥だよな。 確か、⊥は、垂直って意味もあるけど でも、⊥は、矛盾って意で使う地球人がいると思われます そ、⊥とは、p∧¬p の意なのです。 てな、ワケで、trueの逆さまというか、 とにかく、矛盾とは、trueでないという意味のようだ。 でも、この宇宙には、 「すべての盾を突き破る矛」と 「すべての矛を突き破ぶれない盾」という 文書なら存在すると思われる。 というか、矛盾と垂直は、何の関係も無いです
62 なんて素晴らしい作文なのだ。
「すべての矛を突き破ぶれない盾」でも
矛を盾へ、垂直に突き刺せは、突き破れると思いますが、
何を言いたいというと、矛盾とは垂直という意味なんですよーーー
まだ、地球人は矛盾と垂直が同値であることは、知らないと思われるけど
⊥の記号を見れば、⊥という文字を発明したウチュ〰人が
とにかーーーく、地球人に矛盾とは垂直だということを
教えてくれた証だと思われます。
>>63 ご苦労さまです
背理法とベン図の関係
下記のchiebukuro.yahooのベストアンサーの図が秀逸ですよ (^^
(参考)
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1399736633
chiebukuro.yahoo
質問
ove********さん
2013/1/4
なぜp⇒qという命題の背理法では結論を否定して矛盾を見つけるんですか?
ベストアンサー
qxx********さん
2013/1/5
証明方法の原理はベン図で考えると分かりやすいです。
p⇒qというのは、ベン図で言うなら、Pという集合の中に属しているなら、Qという集合の中に必ず属しているということと同義です。(図1)
つづく
つづき 例えばpを4の倍数qを2の倍数としてみましょうか。 図1と同じベン図になるのことが分かりますね。 では背理法で行う「 p かつ (qでない) 」ことを仮定して、否定するというのはベン図で言うとどういうことか? 「 p かつ (qでない) 」は図2の斜線部分に相当します。 本当は図1のようにPは全てQのなかにすっぽり入っていて欲しいのです。 ここで、PのくせにQからはみ出している奴ら「 p かつ (qでない) 」を仮定してこいつらについて考えます。 そこで矛盾を導き出すことで、こんなはみ出し者どもは居ない、ということを証明し、 PはすべてQの中にすっぽりと入っていること、すなわちp⇒qを証明するのです。 これが背理法ですね。 (引用終り) 以上
>>65 追加
図1、2の画像URL
https://chie- pctr.c.yi
mg.jp/dk/iwiz-chie/ans-235148351?w=200&h=200&up=0
>>64-66 補足
古典論理を、簡便に
ベン図や 下記 ド・モルガンの法則が成り立つ世界とします
P→Q は、ベン図で P ⊂ Q
背理法は、
・命題の論理で 「Q & Pの否定 → 矛盾」です
・ベン図では、Qの補集合をQ^cと書くと 「P∩Q^c=Φ(空集合)」ということです
因みに、P→Qの対偶は
・命題の論理で 「Qの否定→Pの否定」です
・ベン図では、「P^c ⊃ Q^c」(”P ⊂ Q”の ド・モルガンの法則)ということです
(参考)
rikeilabo.com/de-morgans-laws
理系ラボ
ド・モルガンの法則の解説|証明と3つの場合
1.1 ド・モルガンの法則とは?
集合では、次の規則性が成り立ちます。
ド・モルガンの法則
略す
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
ド・モルガンの法則(ド・モルガンのほうそく、英: De Morgan's laws)は、ブール論理や集合の代数学において、論理和と論理積と否定(集合のことばでは、和集合と共通部分と差集合)の間に成り立つ規則性である。名前は数学者オーガスタス・ド・モルガン(Augustus de Morgan, 1806–1871)にちなむ。
この規則性(論理のことばで言うと「真と偽を入れ替え、論理和と論理積を入れ替えた論理体系」)は、元の論理体系と同一視できる、ということであるので、ド・モルガンの双対性(英: De Morgan's duality)と呼ばれることもある。
命題論理における法則
略す
述語論理における法則
略す
直観主義論理における法則
直観主義論理においてはド・モルガンの法則は必ずしも成り立たない。しかし、直観主義論理(LJ)においても以下のシークエント計算は証明可能である[1]。
略す
集合論における法則
略す
>>67 追加
(下記 背理法と対偶法の違いが分りやすい、というか 高校教科書では両者の区別をあいまいにしているものがあるらしい)
https://www.chart.co.jp/subject/sugaku/suken_tsushin/03/3-1.pdf 数研出版
背理法の定義について 塩見浩三 愛媛県西条高等学校
>>67 >ド・モルガンの法則 略す >命題論理における法則 略す >述語論理における法則 略す >直観主義論理における法則 略す >集合論における法則 略す なんだこいつ 数式もコピペできないなら、コピペすんなよ 命題論理における法則 任意の命題 P,Q∈{⊥,⊤}(PとQは真または偽のいずれか) に対して ¬(P∨Q)=¬P∧¬Q ¬(P∧Q)=¬P∨¬Q が成り立つ。これをド・モルガンの法則という。
述語論理における法則 D を空でない任意の対象領域とする。 任意の 1 変数の述語 F:D→{⊥,⊤} に対して ¬∀xF(x)=∃x¬F(x) ¬∃xF(x)=∀x¬F(x) が成り立つ。これをド・モルガンの法則という。
直観主義論理における法則 直観主義論理においてはド・モルガンの法則は必ずしも成り立たない。 しかし、直観主義論理においても以下は証明可能である。 ¬(A∨B)⇔¬A∧¬B ¬A∨¬B⇒¬(A∧B) ¬∃xF(x)⇔∀x¬F(x) ∃x¬F(x)⇒¬∀xF(x) ※直観主義論理では以下は一般に言えない ¬(A∧B)⇒¬A∨¬B ¬∀xF(x)⇒∃x¬F(x)
集合論における法則 一般的な集合の代数学では、 (P∪Q)¯=P¯∩Q¯ (P∩Q)¯=P¯∪Q¯ となる (ただし、 ̄は全体集合に対する補集合を表している)。 こんなん簡単にコピペできんじゃん コピペするならサボるなよ サボるならコピペすんなよ
>>68 追加
www.chart.co.jp/subject/sugaku/suken_tsushin/stusin_backnum.html
数研出版
数研通信(1号~50号) 【教授用資料】
3号
背理法の定義について(塩見浩三)見る[102KB]
ですが、発行年が不明
1号
行列の指導について(猪熊正雄)見る[383KB]
の記事から、1号が1985年以降と推察できる
また、36号 1999年12月、37号 2000年4月 などとあるので、4~5ヶ月に一回の発行と思われ
1年に3回とすれば、1号は 1990年ころかもしれない
5号
高等学校数学科の学習指導要領(案)について見る[123KB]
が、平成6年度より実施される高等学校数学科の学習指導要領案について
とあるので、この記事は平成5年 つまり、1993年か
とすれば、3号は 1993年か1992年かも
>>74 追加
数研出版
数研通信 3号
背理法の定義について 塩見浩三 愛媛県西条高等学校
より
(引用開始)
数研出版の「数学I」の教科書では106頁に,√2
が無理数であることの証明を例にして
背理法”とは「ある事柄を証明するのに,まず
その事柄が成り立たないと仮定して矛盾を導き,
それによって事柄の成り立つことを証明する方
法」である.
と書いています.
また,他の参考書には,”背理法〃とは「証明すべ
き結論を否定して論理を進めていき,与えられた条
件と対立する結論を導き出して矛盾(不合理)を示
す一つの証明方法である」と書いています.
対偶については,186頁に
1命題の真偽は,その対偶の真偽と一致する.
2命題 p→qが真であることを示すために,
その対偶q^- → p^-が真であることを示し
てもよい.
と書いています.
(注: p^-は、pの否定を表す。テキストではpの上にバーがある。q^-も同様)
背理法の中に対偶法も含めているのがほとんどの
教科書,参考書の書き方である.上の数研出版の教
科書の説明も同じである.
しかし,参考書は,対偶法の説明を背理法と考え
ている.
どちらも間違いではないが,定義がどうもあいま
いで,生徒にとって(先生自身にとっても)すっき
りしない説明に終わっているのが現状ではないだろ
うか?
背理法とは,AもB^-も仮定として用いて理論
を進め,他の真理(公理,定理,定義)に矛盾する
ことを引き出す証明法であり,対偶法とはB^-のみ
を仮定として理論を進めて,A^-を導く証明法であ
る.
(引用終り)
思うに、塩見浩三氏が書いているように
”背理法の中に対偶法も含めているのがほとんどの
教科書,参考書の書き方である”
”参考書は,対偶法の説明を背理法と考え
ている.”
で、 ”定義がどうもあいま
いで,生徒にとって(先生自身にとっても)すっき
りしない説明に終わっているのが現状ではないだろ
うか?”(塩見)でしょうw ;p)
だから
>>1 "背理法と対偶って違うの?
同じじゃないの?"
となるのだろう
やれやれ
そこから間違いを正していかないとなると
大変だよ~ww ;p)
>>66 タイポ訂正
背理法は、
・命題の論理で 「Q & Pの否定 → 矛盾」です
↓
背理法は、
・命題の論理で 「P & Qの否定 → 矛盾」です
さて
>>76 つづき
数研通信 3号
背理法の定義について 塩見浩三 愛媛県西条高等学校
より
(当時の)数研出版の「数学I」の教科書で
対偶については,186頁に
1命題の真偽は,その対偶の真偽と一致する.
2命題 p→qが真であることを示すために,
その対偶q^- → p^-が真であることを示し
てもよい.
と書いています.
(注: p^-は、pの否定を表す。テキストではpの上にバーがある。q^-も同様)
(引用終り)
つまり
1)命題 p→q ベン図ではP ⊂ Q
対偶 q^- → p^- ベン図では Q^c ⊂ P^c (P^c 、Q^c は補集合を表す)
と教えている
2)そう教えるならば、その流れで
背理法 qの否定(q^-) & p → 矛盾(あり得ない) ベン図では P∩Q^c=Φ(空集合)
とするべき
「証明すべき結論(上記のq)を否定して論理を進めていき」とするのが正
「ある事柄を証明するのに,まず その事柄が成り立たないと仮定して」は誤
”その事柄が成り立たない”などと、あいまい表現がよくない
”命題 p→q ”としたら、命題の否定とは 結論qの否定とすべき
さて、√2が無理数であることの証明の背理法の構造
命題 p→q に当て嵌めすると
p:√2は、x^2=2となる 正の実数
q:x=√2 は 無理数
さて、愚直に p→q を考えるとすると
簡単にいえば
これは、pから出発して 三段論法で ギャップなく qに到達すること
しかし、”q:√2 は、無理数”が曖昧だ。そこで 背理法の出番になる
分かり易く 背理法の前に、対偶法を考えよう
q^- :x=√2 は 有理数
p^-:x^2=2 以外の (正の)実数
と書ける
ここで、”x^2=2 以外の (正の)実数”が数学的には使いづらいので
対偶 q^- → p^-
の背理法で
q^-(x=√2 は 有理数) かつ p(√2は、x^2=2となる 正の実数) →矛盾(あり得ない)
を導くことが閃く
(これは、元の命題の背理法 ”qの否定(q^-) & p”と同じであることを注意しておく)
つまり、”x^2=2 以外の (正の)実数” よりも ”√2は、x^2=2となる (正の)実数”
が、圧倒的に使いやすい
そうやって、q^- :x=√2 は 有理数
から、x=a/b (既約分数)とおけて
あとは、ご存知の通り →矛盾(あり得ない) が導ければ
背理法証明の完成です
”あり得ない”が、集合で空集合Φ に対応している
>>77 つづき
√2が無理数であることの証明の背理法の構造
を分析してみよう
命題 p→q
p:√2は、x^2=2となる 正の実数
q:x=√2 は 無理数
ここで、q:x=√2 は 無理数 が、使いづらい
つまり、実数R で 有理数Q は定義が明確で分かり易い
一方 無理数は 実数R中の有理数Qでないものという定義だ
なので
q^- :x=√2 は 有理数
を使いたい
対偶法と背理法が考えられる
対偶法では
p^-:x^2=2 以外の (正の)実数
が出てくる
これも使いづらい
p:√2は、x^2=2となる 正の実数
の方がスッキリ
だから、「q^- :x=√2 は 有理数」と「p:√2は、x^2=2となる 正の実数」の組合せ
背理法による証明がベストなのだ
これを一般化しておくと
命題 p→q の証明で
qの部分が あいまいで使いづらいときに
qの否定(q^- )を考えると 良い場合がある
このとき、対偶法と背理法が考えられる
対偶法で、pの否定 p^- が使いやすければ
対偶法でも可
しかし、上記の例のように pの否定 p^- が使いにくいときがある
そのときは、pとq^- の組合せの 背理法が良いってこと
上記 ”√2が無理数であること”の証明事例は
背理法による証明がベストです!!
背理法は、 ・命題の論理で 「Q & Pの否定 → 矛盾」です ・ベン図では、Qの補集合をQ^cと書くと 「P∩Q^c=Φ(空集合)」ということです 因みに、P→Qの対偶は ・命題の論理で 「Qの否定→Pの否定」です ・ベン図では、「P^c ⊃ Q^c」(”P ⊂ Q”の ド・モルガンの法則)ということです
>>79 >・命題の論理で 「Q & Pの否定 → 矛盾」です
ご苦労さまですw
ありがと
で、そこな
訂正入れたよ(
>>77 )
なので
・命題の論理で 「Q & Pの否定 → 矛盾」
↓
・命題の論理で 「P & Qの否定 → 矛盾」
だ
重箱の隅だが (^^
全くの蛇足ですが
1)
>>76 数研出版 数研通信 3号
背理法の定義について 塩見浩三 愛媛県西条高等学校
より『背理法の中に対偶法も含めているのがほとんどの
教科書,参考書の書き方である.上の数研出版の教
科書の説明も同じである.』
と記されている
2)しかしながら、
>>77 に記したように
・命題 p→q ベン図ではP ⊂ Q
・対偶 q^- → p^- ベン図では Q^c ⊂ P^c (P^c 、Q^c は補集合を表す)
・背理法 qの否定(q^-) & p → 矛盾(あり得ない) ベン図では P∩Q^c=Φ(空集合)
とすべき
3)『√2が無理数であることの証明の背理法の構造
命題 p→q に当て嵌めすると
p:√2は、x^2=2となる 正の実数
q:x=√2 は 無理数』
『対偶 q^- → p^-
の背理法で
q^-(x=√2 は 有理数) かつ p(√2は、x^2=2となる 正の実数) →矛盾(あり得ない)
を導くことが閃く
(これは、元の命題の背理法 ”qの否定(q^-) & p”と同じであることを注意しておく)』
『そうやって、q^- :x=√2 は 有理数
から、x=a/b (既約分数)とおけて
あとは、ご存知の通り →矛盾(あり得ない) が導ければ
背理法証明の完成です』
4)さて、証明論として
a)直接法:p→q ベン図ではP ⊂ Q
b)間接法の対偶法 q^- → p^- ベン図では Q^c ⊂ P^c (P^c 、Q^c は補集合を表す)
c)間接法の背理法 qの否定(q^-) & p → 矛盾(あり得ない) ベン図では P∩Q^c=Φ(空集合)
となるが
学部レベルの簡単な定理では、このa)~c) が当てはまる場合が多い
しかし、難しい定理 あるいは xx予想 と呼ばれる命題は、こういう単純パターンに乗らないものがある
例えば、”√2が無理数であることの証明”で、循環する無限連分数で表現できることを使える(下記)
(なお、ja.wikipedia 2の平方根もご参照)
(参考)
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%88%86%E6%95%B0
連分数
様々な数の連分数展開
下線部はそれぞれの循環節。
2の平方根
(√2は、循環する無限連分数)
つづく
つづき ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%AE%E5%B9%B3%E6%96%B9%E6%A0%B9 2の平方根 無理数であることの証明 有理根定理を用いた方法 (有理根定理 ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%90%86%E6%A0%B9%E5%AE%9A%E7%90%86) √2 の有理数体 Q上の既約多項式 P(x) = x^2 - 2 を用いる。P(x) は有理根をもつと仮定する それを x = p/q(p, q を互いに素な整数)と表すと、有理根定理より、p は定数項 -2 の約数、q は最高次係数 1 の約数である。 ゆえに P(x) の根 √2 は整数または無理数である 2 は平方数でないから、√2 は整数ではない。ゆえに、√2 は無理数である。■ (注:これ、『P(x) は有理根をもつと仮定する』としているので、背理法の一種ですよ) この証明は √2 に限らず一般化して、平方数でない自然数の平方根の無理性を示すことにも使える。 背理法 背理法(無限降下法)を用いた証明を以下に示す。 略す 素因数分解の一意性を用いた方法 略す 背理法を使わない方法 背理法を用いずに証明することができる ただし、その構想には、背理法による証明過程における、矛盾の発生した点から論理を始めるという点で、直観的ではなく、きわめて形式的である。 (注:背理法被害者の証明法) 略す (引用終り) 以上
突然ですが 「ルート2が既約分数 でも ルート2は既約分数ないから、 ルート2は無理数 なのです」 は、完全に解りました\(^o^)/ ですがァァァ 「ルート2が有理数 ならば ルート2は既約分数だ」 も正しいと思います。 なので 「ルート2が有理数」で良いのでは、ないでしょうか それとも、悪いのでしょうか。
>>1 まあほぼほぼ同じかな
P∧(¬Q→¬P)→Q
が背理法
(¬Q→¬P)→(P→Q)
が対偶法
上から下下から上が導出できるし
>>84 違うよ
>>11 より再録
Q 背理法と対偶って違うの?
A 違います
<説明>
・下記の進研ゼミ包含関係 ベン図 「図1より,「 p ⇒q 」が真である,ということは,P⊂Qであるということ」
・いま、否定記号 ¬p, ¬q , 補集合を P^-, Q^- とします
対偶は、”「¬q→¬p」が真である,ということは,Q^- ⊂ P^-であるということ”となります
つまり、補集合Q^- と P^-をとると 包含関係が逆向きで、 命題否定関係も矢印が 逆向きです(ここまでは高校範囲)
・では、背理法は? (qの否定(¬q)) ・ p ⇒ 矛盾 (空集合Φ、 ”・”は積です)
つまり ベン図で P∩Q^- =Φ(空集合)
です
・背理法の利点は、証明に使える条件が増えていること
つまり、p ⇒q の証明は、pのみを使って q を導くのに対して
背理法では、pに加えて qの否定(¬q)も使えて、矛盾 (空集合Φ)を導けば良いってことです。この方が楽な場合があるってこと
(例 √2が無理数の証明で、背理法では”√2が無理数”の否定 → ”√2が有理数”と仮定する が使えるってこと)
なお、私は 10年くらいまえに ここ 当時2ch で 下記の ”背理法被害者の会”のことを教えてもらって、そのときに考えたことです
なお、下記もご参照ください
(参考)
https://kou.benesse.co.jp/nigate/math/a14m0119.html 進研ゼミ 高校講座
高校生の苦手解決Q&A
【数と式】「pならばq 」が真のとき,集合Pが集合Qに含まれる理由
Q
「pならばq 」が真のとき,集合Pが集合Qに含まれる理由
条件pを満たすもの全体の集合をP ,条件q を満たすもの全体の集合Qとするとき,「 p ⇒q 」が真であるときに P⊂Qが成り立つのか,P⊃Qが成り立つのかわかりません。
A
≪命題の真偽をベン図に表す≫
「 p ⇒q 」が真,つまり「 p ⇒q 」が成り立つ,ということをベン図に表してみましょう。
条件pを満たすもの全体の集合をP,条件qを満たすもの全体の集合をQとすると,Pに含まれているものx は,条件pを満たしています。今,「 p ⇒q 」が成り立っているのですから,xは条件qも満たしているということになり,xはQに含まれるのです。
つまり,Pに含まれているものはすべて,Qに含まれることになり,このことを集合のベン図で表すと,図1のようになります。
略
≪包含関係をベン図で表す≫
よって,図1より,「 p ⇒q 」が真である,ということは,P⊂Qであるということそのものであることがわかります。
★まとめ★
条件pを満たすもの全体の集合をP,条件qを満たすもの全体の集合Qとするとき,
「 p ⇒q 」が真⇔P⊂Q
となります。
>>85 補足
・今の話は、古典論理(下記)の中
・直観主義では、背理法は許容されない。
・なお対偶の一部 ”「AならばB」から「BでないならばAでない」は、直観主義論理においても導出可能である”
が、”from ¬Q→¬P to P→Q, requires the law of the excluded middle or an equivalent axiom.”なので 証明法としての対偶証明はダメ(英文ご参照)
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E8%AB%96%E7%90%86
古典論理(こてんろんり、英: classical logic)は形式論理の部類で、最も研究され最も広く使われている論理である。標準論理(英: standard logic)とも呼ばれる[1][2]。
特徴
以下に示す性質が特徴である:[3]
1.排中律の採用及び、二重否定の除去;
以下略す
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E8%A6%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6)
直観主義 (数学の哲学)
来歴と評価
ブラウワーは、数学的概念とは数学者の精神の産物であり、その存在はその構成によって示されるべきだという立場から、無限集合において背理法によって非存在の矛盾から存在を示す証明を認めなかった。それゆえ、無限集合において「排中律」、すなわちある命題は真であるか偽であるかのどちらかであるという推論法則を捨てるべきだと主張し、ヒルベルトとの間に有名な論争を引き起こした。 ヒルベルトの形式主義は、直接的にはブラウワーからの批判的主張に対し排中律を守り、数学の無矛盾性を示すためのものと考えることができる[1]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E5%81%B6_(%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6)
対偶 (論理学)
対偶(たいぐう、英: Contraposition)とは、「AならばB」という形式の命題に対して、その命題の仮定と結論をそれぞれその否定に置き換えた上で両者を入れ替えた命題のことをいう。
定義
略す
通常の数学では古典論理を用いるため、命題「AならばB」とその対偶「BでないならばAでない」の真偽および証明可能性は必ず一致する (すなわち真理値が等しい)。
直観主義論理における扱い
上述の対偶の性質は古典論理におけるそれであり、非古典論理においては成立しない場合がある。例えば直観主義論理においては、必ずしも「AならばB」とその対偶「BでないならばAでない」の真偽は一致しない。
直観主義論理の特徴として、排中律の不成立(あるいは二重否定の除去の制限)があげられるが、対偶の性質はこの制限の影響を受け成立しない。なお「AならばB」から「BでないならばAでない」は、直観主義論理においても導出可能である。
en.wikipedia.org/wiki/Contraposition
Contraposition
In nonclassical logics
Intuitionistic logic
In intuitionistic logic, the statement
P→Q cannot be proven to be equivalent to
¬Q→¬P.
We can prove that
P→Q implies
¬Q→¬P (see below), but the reverse implication,
from ¬Q→¬P to P→Q, requires the law of the excluded middle or an equivalent axiom.
>>85 ぷ
どちらからもどちらも導出できるのでほぼほぼ同じですよ
直観主義論理ではどちらも証明できませんが P∧(¬Q→¬P)→Q と (¬Q→¬P)→(P→Q) がお互い導出し合えることは成立します つまり (P∧(¬Q→¬P)→Q)→((¬Q→¬P)→(P→Q)) と ((¬Q→¬P)→(P→Q))→(P∧(¬Q→¬P)→Q) はいずれも直観主義論理で証明できます
>>85 ベン図のような特定の論理(古典論理)に縛られた思考法はやめるべきでしょうね
>>87-92 ぷ
1)古典論理において、厳然と証明手法として
背理法と対偶法は、存在する
そして、この二つの手法は別もの
この事実を認めましょうね
2)これを、いつもの例題 √2が無理数であることの証明で示す
命題:実数 x^2=2→xは無理数である
p:実数 x^2=2、q:xは無理数
さて
対偶法:xは有理数→x^2≠2
背理法:p:{実数 x^2=2}∩{xは有理数}=Φ(空集合)(Φは矛盾を示してあり得ないことをいう)
3)具体的な背理法証明は、頻出なので略す
ここで、q:xは無理数 を考えるより、¬q:xは有理数 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
また、対偶法の ¬p:x^2≠2 を考えるより、¬p:x^2=2 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
対偶法とは、このように ロジックとしては等価だが
p,q をマトモニ考えるよりも、その否定 ¬p,¬q を考える方が、証明戦略として楽な場合があるってことですよ
対偶法も同様のことです
どの組合せが良いか?
それは、具体的な証明すべき命題で決まる
>>93 タイポ訂正
背理法:p:{実数 x^2=2}∩{xは有理数}=Φ(空集合)(Φは矛盾を示してあり得ないことをいう)
↓
背理法:{実数 x^2=2}∩{xは有理数}=Φ(空集合)(Φは矛盾を示してあり得ないことをいう)
>>93 タイポ訂正追加
対偶法とは、このように ロジックとしては等価だが
↓
背理法とは、このように ロジックとしては等価だが
>>93 ぷ
ロジックが同じであることがわかっていないようですね
背理法は P∧(¬Q→¬P)→Q
対偶法は (¬Q→¬P)→(P→Q)
これらが同等であることは古典論理でも直観主義論理でも爆発律のない最小論理でも証明されますから
使っているロジックに変わりはないのです
同等性の証明は→∧の定義とMPだけでできますから 非常に素朴な意味で同等なのです
まあ論理を語るのにベン図と真偽値で語ろうとしているのも 非常に素朴な意味でアレですけどね
>>93 タイポ訂正追加の追加
また、対偶法の ¬p:x^2≠2 を考えるより、¬p:x^2=2 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
↓
また、対偶法の ¬p:x^2≠2 を考えるより、p:x^2=2 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
>>96-98 ぷ
間違っている
まあ、それは棚上げして
証明手法として
・普通の証明(P→Q)
・対偶法
・背理法
この3つの手法が存在し
証明する命題によって
この3つの手法の証明の難易度が異なる
よって、どの手法を使えば良いかは
ケースバイケース
そういうことですよ
《∀と∃記号を使ってみたぁぁぁ。》 今閃いたた対偶法による √2は有理数である事の証明モドキ だ ∀xが既約分数 ⇒ ∃「xの二乗は2」 が証明されちゃったら、 √2は有理数である事の証明だぜ 14142・・・/10000・・・ は既約分数ぢゃなぃよねー by 戯言でした。失礼しました ・・/~~~
>>100 背理法と対偶法はほぼほぼ同じロジックなので
実際に証明に使う場合の難易度もほぼほぼ同じなんですよ
お好みでお使いください
>>100 >間違っている
何が間違っているかも指摘できないんですね>間違っている
私はなぜほぼほぼ同じなのか説明しましたよ
>>88 ベン図や真偽値を使っているうちは 証明手法のお互いの関係について 云々するのはまだ早いと言えましょう
>>93 >命題:実数 x^2=2→xは無理数である
> p:実数 x^2=2、q:xは無理数
> さて
> 対偶法:xは有理数→x^2≠2
このあとx^2=2とするとと背理法を使うんですよね?
> 背理法:p:{実数 x^2=2}∩{xは有理数}=Φ(空集合)(Φは矛盾を示してあり得ないことをいう)
空集合であることをいうのに¬q→¬pを使うんですよね?
ZFCスレで負けた犬が 背理法スレで吠える 存在例化も知らん犬コロが
ふっふ、ほっほ
>>93 より 訂正再投稿
1)古典論理において、厳然と証明手法として
背理法と対偶法は、存在する
そして、この二つの手法は別もの
この事実を認めましょうね
2)これを、いつもの例題 √2が無理数であることの証明で示す
命題:実数 x^2=2→xは無理数である
p:実数 x^2=2、q:xは無理数
さて
対偶法:xは有理数→x^2≠2
背理法:{実数 x^2=2}∩{xは有理数}=Φ(空集合)(Φは矛盾を示してあり得ないことをいう)
3)具体的な背理法証明は、頻出なので略す
ここで、q:xは無理数 を考えるより、¬q:xは有理数 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
また、対偶法の ¬p:x^2≠2 を考えるより、p:x^2=2 とする方が圧倒的に有利で分かり易い
背理法とは、このように ロジックとしては等価だが
p,q をマトモニ考えるよりも、その否定 ¬p,¬q を考える方が、証明戦略として楽な場合があるってことですよ
対偶法も同様のことです
どの組合せが良いか?
それは、具体的な証明すべき命題で決まる
>>100 について
訂正再投稿
証明手法として
1)普通の証明(P→Q)(直接法)
2)対偶法
3)背理法
補足
対偶法と背理法とは、間接証明とかいうそうですね
(参考)
www.jstage.jst.go.jp/article/jasme/24/2/24_25/_pdf/-char/ja
全国数学教育学会誌 数学教育学研究第24巻第2号2018 pp.25~36
間接証明の構造の理解に関する研究 -理解の様相を捉える枠組みの構成一
広島大学大学院 教育学研究科 院生 浦山大貴
<ちょっと妖しいが・・w (^^;>
exam-strategy.jp/archives/1321
敬天塾 2024年8月27日
背理法と対偶命題の証明法は、どのように使い分けるのか
背理法と対偶命題の証明法の使い分けは(基本編)
では、やっとですが背理法と対偶命題の証明法の使い分けに行きましょう。
基本的には、
断定型の命題を否定しながら証明する時は、背理法
推論型の命題を否定しながら証明する時は、対偶命題の証明法
と使い分けます。
pu (*sigh*)
まあ正しいものの考え方をすべきですよ
背理法と対偶法は思考のロジックとして
ほぼほぼ同じ内容です
>>96 どちらでも好きな方を使えば良いのですよ
>>108 >背理法と対偶法は思考のロジックとして
>ほぼほぼ同じ内容です
>>96 あんまり、数学に向いていない 雑な思考をしますねw ;p)
>>107 より
証明手法として
1)普通の証明(P→Q)(直接法)
2)対偶法 (間接法)
3)背理法 (間接法)
となります
対偶法と背理法とは、同じ間接法に分類されます
古典論理で
1)直接法 P→Q
2)対偶法 ¬Q→¬P
3)背理法 ¬Q⋀P→空(矛盾) (集合では¬Q ⋂ P=Φ(空集合))
少し補足しましょうね
>>107 より
いつもの例題 √2が無理数であることの証明で示す
命題:実数 x^2=2→xは無理数である
p:実数 x^2=2、q:xは無理数
これを、直接法 p→q を示そうとするとき
出発点で使える条件は、”x^2=2” のみ
なので、直接法で、「√2が無理数であること」を直施示すには、大理論を持ちだすしかない
典型例が、連分数の理論です
連分数の理論で、√2が無限に循環する連分数表示を持つことが分かる(下記)
よって、√2は無理数である (”無限連分数が無理数である”ことは、既知として)■
一方、背理法ならば ¬q⋀p→空(矛盾) を示せばいいので
¬q:xは有理数 x=a/b (a/bは既約分数)
p: x^2=2
つまり、二つの条件 x=a/b と x^2=2 とが使える利点があります (頻出なので、後は略す)
さて、対偶法です
¬q:x=a/b → p: x^2≠2
となります
¬q → p: x^2≠2
を示すときに、”x^2≠2”がこのままでは まずい
よって、この対偶命題に 背理法を適用します
そうすると (¬q:x=a/b) ⋀ (p:x^2=2)→空(矛盾)
とできて、これは 最初の命題 P→Q に対する背理法と 一致します! (^^
なので、”√2が無理数であることの証明”では、背理法が一番簡単
直接法は、連分数の理論など大理論が必要
対偶法は、結局は 背理法 に持ち込むことになるでしょう
これが結論ですw
(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%88%86%E6%95%B0 連分数(れんぶんすう、英: continued fraction)とは、分母に更に分数が含まれているような分数のことを指す
二次無理数(整数係数二次方程式の根である無理数)の正則連分数展開は必ず循環することが知られている。
逆に、正則連分数展開が循環する数は二次無理数である。
様々な数の連分数展開
下線部はそれぞれの循環節。
2の平方根
√2=略す
>>109 タイポ訂正
なので、直接法で、「√2が無理数であること」を直施示すには、大理論を持ちだすしかない
↓
なので、直接法で、「√2が無理数であること」を直接示すには、大理論を持ちだすしかない
>>109 補足
>なので、直接法で、「√2が無理数であること」を直施示すには、大理論を持ちだすしかない
>典型例が、連分数の理論です
補足しておきます
下記 無理数 で、無理数判定法があります
なので、√2が無限連分数表示を持つことから、下記の無理数判定法に持ち込んで
『√2は無理数』を示すのが、大学学部レベルの一つの直接証明法でしょう
(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%90%86%E6%95%B0 無理数
無理数判定法
任意の ε > 0 に対して不等式
0<|α-p/q|<ε/q
が有理数解 p/q
を持つとき、α は無理数である。
多くの無理性の証明はこれを用いている。これは α が無理数であるための必要十分条件でもある。
性質
無理数を十進小数で表記すると、繰り返しのない無限小数(非循環小数)になる。これは記数法の底によらず一般の N 進小数でも成り立つ。
α を無理数とすると、
|α-p/q|<1/q^2
を満たす無限に多くの有理数
p/q
が存在する(ディリクレの定理)。
なお、このように無理数の有理数による近似を扱う理論はディオファントス近似と呼ばれる数論の分野に属する。
代数的無理数と超越数
無理数のうち、代数的数であるものを代数的無理数、そうでないものを超越数という。
α が代数的数、κ > 2 ならば、
|α-p/q|<1/q^κ
を満たす有理数
p/q
は有限個しかない(トゥエ-ジーゲル-ロスの定理)[5]。
このことは不定方程式の解の有限性を示すときに使われる。
2の平方根は代数的無理数であり、log2 3, e, π, eπ といった数は超越数である。ζ(3) が超越数であるか否かは未だに解決されていない。
→詳細は「超越数」を参照
>>21 より 背理法の説明再録しておきますね
(引用開始)
・では、背理法は? (qの否定(¬q)) ・ p ⇒ 矛盾 (空集合Φ、 ”・”は積です)
つまり ベン図で P∩Q^- =Φ(空集合)
です
・背理法の利点は、証明に使える条件が増えていること
つまり、p ⇒q の証明は、pのみを使って q を導くのに対して
背理法では、pに加えて qの否定(¬q)も使えて、矛盾 (空集合Φ)を導けば良いってことです。この方が楽な場合があるってこと
(引用終り)
下記2点に詳しい説明がある
(下記 Dr. Valerie Hower youtu.be 百回見てねw (^^)
(参考)
https://math.libretexts.org/Courses/SUNY_Schenectady_County_Community_College/Discrete_Structures/05%3A_Set_Theory/5.02%3A_Proving_Set_Relationships LibreTexts
Disjoint Sets
This is an instance where proving the contrapositive or using a proof by contradiction could be reasonable approaches. To illustrate these methods, let us assume the proposition we are trying to prove is of the following form:
If P , then T=∅ .
If we choose to prove the contrapositive or use a proof by contradiction, we will assume that T≠∅
. These methods can be outlined as follows:
The contrapositive of “If P , then T=∅ ” is, “If T≠∅ , then ┐P .”
So in this case, we would assume T≠∅ and try to prove ┐P .
Using a proof by contradiction, we would assume P and assume that T≠∅ .
From these two assumptions, we would attempt to derive a contradiction.
One advantage of these methods is that when we assume that T≠∅ , then we know that there exists an element in the set T .
We can then use that element in the rest of the proof.
We will prove one of th the conditional statements for Proposition 5.14 by proving its contrapositive.
The proof of the other conditional statement associated with Proposition 5.14 is Exercise (10).
Proposition 5.14
Let A and B be subsets of some universal set. Then A⊆B if and only if A∩Bc=∅ .
Proof
略
VIDEO Proof by Contradiction (full lecture)
Dr. Valerie Hower
2020/11/08
コメント
@monraet
5 か月前
Thanks Dr. However for all your math videos, they are the best
無理数は、無限小数(非循環小数) との話ありがとう この対偶をとると 無限小数かつ循環小数 または 有限小数 は、 有理数 って事だ。 てか、対偶は長文になって分かりづらい 無限小数でも循環小数なら有理数 かつ 循環小数なら有理数 これでバッチリ有理数と無理数が分かった
>>113 >無理数は、無限小数(非循環小数) との話ありがとう
>この対偶をとると
>無限小数かつ循環小数 または 有限小数 は、
>有理数 って事だ。
ご苦労様です
同意です
1)つまり、例えば ある有理係数 二次方程式の実根について
その根を小数展開できる理論が作れて
その理論で、有限小数か、循環小数か、非循環小数か
その区別が、二次方程式の 係数から判定できる
大理論ができたならば
2)その大理論を使って 方程式 x^2 -2=0 の根について
非循環小数で表されることが言えて、
『√2は無理数』を直接証明できる
なお、老婆心ながら
小数展開よりも、連分数展開の方が表現力が高いので
連分数展開を経由して、非循環小数は 簡単に言える
連分数展開も、二次方程式までは威力があるが
三次方程式以上は、きれいな式展開ができないらしい
そこは課題だとなにかに書いてあった
>>109 >あんまり、数学に向いていない 雑な思考をしますねw ;p)
pu (*sigh*)
数学の思考法が常に緻密だというのは誤解でしょうよ
証明蜂蜜でなくてはいけないでしょうが(それも怪しいですが)
試行錯誤の段階では柔軟に考えるのが数学です
背理法と対偶法は思考のロジックとしてほぼほぼ同じ内容なのですから
>>96 どっちを使って証明するのもお好み次第ですね
>>115 ほっともっと は
記載された「証明」が証明の要件を満たしているかどうかの検査 と
そもそも証明を探索する手続き の
違いを理解してないんですよ
証明探索の効率的な方法なんてありゃしません
ゲーデルの完全性定理によれば、命題が証明可能なら、必ずその証明を見つけ出す手続きが存在しますが
ある時間内に見つけられる、なんて限定ができるわけではない
そんなことができるなら、証明可能か否か判定できるわけだから
証明が存在するとしても、信じられないくらい長い時間がかかるかもしれない
証明できるまでの時間を競うのは無意味
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